会合のご報告や新着のご紹介 会長挨拶、趣意、役員紹介、頭山興助会長の部屋など 勉強会開催の記録 創刊号から13号まで見れます ご自由にご意見をお寄せください 十数点の写真を載せました
アジアの中の日本を見つめるページ 日々の話題にひとこと識者の言葉を掲載しています関連するホームページを繋ぎます




「呉竹の視座」は、呉竹会・アジアフォーラムのメンバーである大学教授、シンクタンク研究員、国会議員、官僚などのメンバーが「呉竹太郎」を名乗って時局についての提言や随感を述べるページです。



給油新法について 呉竹太郎(平成20年1月15日)NEW!!
平成20年を迎へて 呉竹太郎(平成20年1月1日)
三島由紀夫の自刀 呉竹太郎(平成19年11月24日)
混迷を極める日本政治 呉竹太郎(平成19年11月12日)
自民党惨敗と日本の進路 呉竹太郎(平成19年8月14日)
参議院選挙とダブル選挙 呉竹太郎(平成19年5月28日)
安倍政治の本質と戦後レジームの打破について 呉竹太郎(平成19年5月7日)
知事選と統一地方選挙について 呉竹太郎(平成19年4月9日)
国家と個人について 呉竹太郎(平成19年3月19日)
政策論争なき予算委員会 呉竹太郎(平成19年2月26日)
変化するアメリカの世界戦略と日本の立場 呉竹太郎(平成19年2月13日)
日本人に日本が足りない 呉竹太郎(平成19年1月8日) 
民主主義についての雑感 呉竹太郎(平成18年12月25日) 
アジアの混沌と未来 呉竹太郎(平成18年12月13日) 
核保有の論議について 呉竹太郎(平成18年11月13日)
愛国心の行方 呉竹太郎(平成18年10月9日)
日本社会の病理現象について 呉竹太郎(平成18年9月22日)
天皇(制)についての考察 呉竹太郎(平成18年9月11日)
夏の終わりに 呉竹太郎(平成18年8月28日) 
靖国神社・考 呉竹太郎(平成18年8月20日)
平成30年へ向けて 呉竹太郎(平成18年8月8日)
呉竹太郎の「在日」日本人宣言 呉竹太郎(平成18年8月1日) 






呉竹太郎(平成20年1月15日)


 7年ぶりの衆議院再可決によって「給油新法」は成立しました。

 んとこのことの為に二度も国会を延長して越年国会になった訳ですが、もともとは安倍前総理の辞任劇による政治空白によってもたらされたものであり、そのことが既に忘れられがちですが、外交防衛委員会での論議を聞いている限り、日本にとって「日米同盟とは何か」「国際貢献とは何か」実にあいまいなまま自民党も民主党も向かい合って来ているような気がしてなりませんでした。

 民党にとってアフガニスタンでの給油活動は、欧米諸国のように上陸をして治安維持の貢献を図ったり、民生支援の直接行動をとったりすることはなく、ただインド洋上の「安全な地域」でひたすら油を給油しているだけで国際貢献をしていると認識している時点で、「それがほんとうに国際貢献なのか、ドイツやフランスなみの支援活動をしなくていいのか」という問いかけには繋がらない。

 た、民主党にとっては「国連の決議」があれば欧米並みの支援も可であるとこれまでの憲法論議を超えた見解を小沢代表が語っていますが、それは現時点では不可能なことであり、だとすれば結局アフガニスタンへの支援活動を全くしないことになってしまうことへの「代替案」が見えないということに無頓着すぎるのです。

 まり、両党の姿勢から感じることは「都合のいい」日本の立場をばかり考えているだけで、アジアやアフガニスタンの将来に対して、真剣に平和国家として何かをしなくてはならないという議論が何もないことである。

 れはあたかも、日本国憲法の9条が平和の象徴であるかの如く錯覚し、実際はアメリカの核の傘に守られて戦後の平和が保ち得て来たと言う単純な現実を見ようとしないのと同様で、自民党も民主党もリアリズムに欠いた外交防衛への感覚にあると私は思うのです。

 っかくアフガニスタンにはアメリカに次いで資金提供をしているのですから、もっと日本独自で民生支援を徹底するなどたとえアメリカと共同歩調がとれなくても、顔のある平和貢献を進めるべきであり、日本は「国家」として自らの「国家戦略」を持ち得ていないことをもっと猛省すべきなのです。

 念ながら、いつの間にか自民党も民主党も全く内向きの内政政党になってしまっていて、憲法論議や「戦後レジームの打破」というスローガンも何処かへ消えてしまいました。

 日に経済三団体と連合の新春の集いで行われた福田総理の演説には日本の国家像が全く見えず、日本が何処に行こうとしているのかさっぱりわからない話ばかりでした。総理という日本国を代表する指導者であるにもかかわらず識見のかけらも感じない実務家の弁に過ぎず、私は強い失望を禁じ得ませんでした。

 する民主党も三大政策が農家への所得補償、年金、子育て支援とばらまき的なことばかりで、外交防衛や歴史への視座などが見えません。政権交代というけれど民主党の目指すべき日本の姿かいったいどんなものかいっこうにわからないのです。

 故、他国の政治家に比べて日本の政治家の演説は格調が高くないのか。ほとんどの政治家の演説に深みや説得力を感じないのです。

 なくとも55年体制まではそれなりに存在感のある政治家がいたような気がしますが、今ではそうした風格を感じることがないのです。これは実に憂うべきことです。

 和が終わって20年目。日本はますます困難な舵取りを求められ、改革の速度をもっと早めて行かなくてはならない局面に在ること誰もが認めるところです。にもかかわらず、自民党にも民主党にも危機感を抱いているような気魄が伝わってこないのです。

 油新法が緊張感なく通過し、民主党はそれを身体を張って阻止する訳でもなく、三月の予算時期に決戦を譲るといけれど、結局はほんとうに徹底的に反対するというよりも、党利党略の必要かお反対をしてきたに過ぎないのではないのかとすら思えるくらいです。

 くて、臨時国会は会期を終え、すぐに通常国会が始まることになりますが、年頭にぜひ両党に臨むことは、「国家の百年の大計」をもっと真摯に語り、日本の未来への青写真を提起して欲しいということであり、生活に密着する問題も確かに大切ですが、それを左の軸とするならば一方で、日本の国家像を論議することを右の軸として、両輪が動くようにして欲しいということです。







呉竹太郎(平成20年1月1日)


 けましておめでとうございます。

 年、新しい年を迎えることに誕生日以上に威儀を正して来たのが日本人の「文化」であったような気がしますが、昨今の時間の加速度的な流れの中で、その「風情」を随分失いつつあるようです。

 れでも初詣客は6000万とも8000万とも言われており、私は必ず東に居る時は「明治神宮」、西に在る時は「伊勢神宮」に行くように心がけているのですが、今年ははじめに関東のお伊勢さんである「東京大神宮」に参拝をしてから明治神宮に足を運びました。

 して、その足で山梨県にまで車を飛ばして増穂というところから富士山のご来光を仰いで久しぶりに清々しい気持ちになったことをお伝えしておきたいと思います。どうしてこんな行動力が出てくるのかと問うてみますと、どうも正月だけは「日本」が近づいたような気分になるからかなと納得しているところで、幾分心地よい懐古の時間が流れるからかもしれないと、私の中の日本へのこだわりというものを痛感しました。

 年アメリカの友人が明治神宮に詣でたときに深夜に若者が何時間も並んで待っている姿を見て、「ミスタークレタケ、日本人はやはり高い信仰心を保有しているね、きちっと列を成して新年の三日間で300万人もの人々が、三代前の天皇に祈りを捧げている。GODではなくエンペラーにだ。

 れは明らかに脅威だよ、日本が危ないなんてクレタケは言うけれど日本人はあなどれないと思うよ」と真剣に述べていたことを思い出します。

 かに外からみればピアスをしている若者が一時間以上も平気で並んで参拝している姿を見ていると凄く信仰心の高い国民だと誤解されても仕方がないと言えます。しかし友人には「むしろそうであったら嬉しいけれど、彼らはこの神社の神様が何であるかにほとんど関心もなくただ祭り的な意識で風俗として集まっているに過ぎないのだ」と説明したのですが、あまり納得をしていなかったような感じでした。

 にとってタイの国民の多くが敬虔な仏教徒であるように、日本人もまた伝統的な宗教を今なお大切にしている国民だと思い込んでいるようで、高層ビルの建設の際に「地鎮祭」を行っている姿を見て確信したと言うのです。

 はそれが風俗として日本の社会の隅々にまだ残っているけれどそこに精神が伴っているかと言えばかなり形骸化してしまっていて、アメリカ的生活を理想としてひたすら物質主義に走り続けて来た若い世代の心は根本的なところで変質つまり劣化してきてしまっていると思っているので、平成になって20年。それは新しい日本の創造というより、「昭和の遺産」をひたすら食いつぶしていく時間でしかないのではないかと感じてしまうのです。

 型的には今日の「皇室の危うさ」がそのことを象徴しており、少なくとも平成の時代の行方を明快にひもとける人は誰もいないのです。

 日の忘年会で政治活動を熱心に行っていて将来地方議員を目指している情熱的な後輩に、「伊勢神宮の祭祀は誰?」と質問をしてみると、「天照大御神」という言葉そのものも知らないばかりか、「古事記、日本書紀」を一度も読んだことがないという答えが返ってきて愕然としたのですが、思わず「世の中の為に役立とうと志をもつならば、日本の伝統、文化、政治的にも原点になる古典的な知識を基本的には身につけておいて欲しい」と要望したのですが、学校でも親からも、先輩からも地域社会からも何も教えられる機会がなく育って来たのだから仕方がないところもあり、むしろ後輩からは今の大人たちの無責任さを指弾される展開となってしまいました。

 「戦後レジームの打破」という言葉が安倍前総理の退陣とともに全く聞かれなくなってしまいましたが、つくづく今日の時代状況を見ていると「戦後レジームの完成」と言わざるを得ないような気持ちになります。

 かし、そうした現状認識を積み重ねて、いくらため息をついてもどうにもならないし無力です。ですから私に出来ることは初詣で常に「皇室の弥栄と国家の安泰」を祈願し、ささやかに勉強会や政治の周辺で意識覚醒の活動を今年も微力ながら展開するばかりだとしかいいようがありません。

 成20年を迎えて日本が今どこに行こうとしているのか、そして日本再生の為には何が必要なのか、何が出来るのか、年の初めにもう一度問い直さなくてはならないと思います。

 の意味で「呉竹会・アジアフォーラム」は有力な講師とともに日本人のアィデンティティの確立を求める勉強会です。

 の作業を進める為に今年はもっと根本的なところでの問いの場を設けてまいりたいと考えています。何卒今年もまた旧に倍するご支援ご参加を心からお願い申し上げます。

 なた様の1年の大吉を心からお祈り申し上げます。







呉竹太郎(平成19年11月24日)


 和45年11月25日 作家三島由紀夫は憂国の自刃を遂げました。

 し今、三島が生きていれば「82歳」にもなり、そこまで齢を重ねた三島の姿など想像すら出来ないでいますが、実際この無機質な予言通りに堕落した日本を見られたらどんな感想を抱かれることかと気にかかります。

 たして市ヶ谷自衛隊で三島が果てていなかったとすればその後も小説を書き続けえたのだろうか。いずれにしても「憂国」を書き上げて以降の三島は「楯の会」を組織し、肉体を鍛え、死に急ぐことによってのみ生きることを極度に純化しえたように感じています。

 饒すぎる三島の個的宇宙は常に狂気を胚胎してのみしか存在しえなかったのでしょうし、時代の精神が「絶対」や「究極」に向かって無限に運動し続ける精神のあり方をまだ充分に信じ得る牧歌的な環境が残されていたような気がしています。

 かし、冷厳な事実として包括的な思想や宗教的な情熱が「価値相対主義」の洗礼を受けてもなお壊れなかったと思える時代は全く終焉してしまいました。共産主義もファシズムもその壮大な実験に失敗したために、全く理想主義の旗は色褪せてしまったかのようです。

 もそも日本にこだわろうとする思い。いや日本にこだわらなくてはならないとする三島の作家として感性。それを理解できる人とそうではない人とは決定的に違うようです。

 東の島国に中性的でアィデンティティを喪失した種としての日本人が存在していることをほんとうに許容できるのかどうか、それはもはや日本が滅んだことに等しいのではないかと私などは思うのですけれど、そこは究極において真理とか真実とかの次元で語られるものではなく、好きか嫌いかにさえ収斂されるような文化の次元であり、人為的に教育や環境によってしか継承しえないものだと言わなくてはなりません。

 後の日本人はそのことに余りにも鈍感になってしまいました。

 島はその「日本との関係性」から自由ではあり得なかった。

 しろ徹底的に日本と向き合い、また向きあわざるを得なかったというのが正直なところでしょう。

 れは二十歳という多感な時に敗戦という日本の現実を経験してしまったことと深い関係があると思いますが、ヨーロッパ的知性に恵まれ精緻な論理的思考を身につけた三島の過去の完結としての現在に生きる姿勢はしかし、何処までも孤独な思考であって、様々な言葉の行く末に死という永遠性を選択することで三島は歴史に生きたのだと私は思っています。

 こに、ある普遍のテーマが警鐘として日本人の心に語り継がれて行くことは多くの青年が三島文学に出会うことでその問題意識に目覚めて行っている現実を見れば一目瞭然です。

 れにしても生命以上の「至純の価値」を提起し、そのフィクションに見事に殉じてみせた三島の思想と行動は、深刻きわまりない日本人の心の劣化に、常に楔を打ち続けていくことは言うまでもありません。だが現実は三島の絶望を無視し、その予言通りの展開を余儀なくされています。

 かるニヒリズム的状況と向かい合いながら精神を裏切った肉体をどう引き取っていくことが出来るというのでしょうか。「知行合一」という理念は現実には死の選択にしか結びつかないと思えてなりません。

 きるということはそれらのことに鈍感になることによってのみ可能なのではないかとさえ考えてしまうのです。

 れでも、全く色褪せることなく三島文学は永遠の輝きを発し続けています。それは「後に続くを信ずる」という特攻隊の精神を蘇らせることで、最後の日本人としてサムライの作法を演じて見せたことにもよることが大きいと言わなくてはなりません。

 かし、三島後にその透徹した精神を継承し得る文学者も思想家も現出しえていないことはより絶望的ですらあります。私は三島の不在を嘆きながらただ無駄に齢を重ねてきた不明を恥じつつ、しばしば日本にこだわることにすら無力感を感じてしまう凡俗の精神に諦念することでしか生きる術を持ち得ていません。

 にそのことは「歴史」であり、関係者による憂国忌や野分祭等の追悼行事は時代を超えて引き継がれています。

 家の死は太宰治や川端康成をはじめ様々な形がありますが、三島の死は日本の歴史や思想史への根本的な問いかけを具体的に表現した行為によって完結させたことで、きわめて異例でありかつ衝撃的でした。

 の死を芸術家の美学として、陽明学の精神に基づく殉国の行為として、あるいは単なる狂気として様々な角度から論じられて来ましたが、天才三島由起夫の真の心根は誰にもわからないというのが正直なところだと思います。

 だ、同時代にその行為によって決定的な影響を受けたものの一人として言えるのは、その透徹した「日本の本質」への問いかけや滅びゆくものへの憂いの念は深く、鋭い切り口を見せつけていたものであり、その古典的知識の集積と文学的な表現力は他の誰をも超えることの出来ない独自の世界を構築していたということです。

 して、三島の永遠の不在によって日本の文学や思想は著しく貧しくなってしまったように思えてならないのはただ私の錯覚に過ぎないのでしょうか。

 すから、全ての課題をはるかな未来にそのまま積み上げておくことでしか、未来への可能性を担保する道がないことに気づくのです。

 「生命以上の至純の価値」を提起し、戦後日本を真っ向から否定した三島の思想と行動は、「天皇陛下万歳」とあえて叫ぶことによって日本の本質を未来に繋いだのです。

 島がその作法を信じていたのかどうかは問う必要はないでしょう。

 遠に「生命以上の価値」を今に生きる日本人に問い続ける作家として私は不朽の存在感を勝ち得たと思っています。

 のところ、凛として生きることの困難な時代に、日本人は武士道を持っていることの幸せを実感すべきであり、そこに戻ることにしか何らも未来に建設的な何ものかを提示しえないことを認識します。

 島の不在によって、私は今年もその本質的な問題提起から逃れることが出来ずに38回目の11月25日を通り過ぎてしまいました。

 年もあとわずかになろうとしています。天皇誕生日の国民参賀のニュースをテレビで見て、何故か自刃した三島由紀夫の姿が脳裏に浮かびました。

 ヶ谷自衛隊のバルコニーに立って甲高い声で「檄文」を演説しましたが、自衛隊員のヤジでほとんど聞こえず、憲法改正に一緒に立ち上がることのない現実を見定めておもむろに気魄を込めた「聖寿万歳」を叫んで切腹をしているその姿が、まるで映画の憂国のシーンと交錯しながら蘇ったのです。

 日何かの縁で三島の切腹した身体の写真を見せてもらったことがありますが、見事に13センチの刀傷がくっきりと残りその意志の固さを痛感しました。

 れから暫くは放心状態の中で指針を失った哀しさを感じながら、考えてみれば今なお私の心の中に深く堆積して固い芯のようになって存在しつづけていることに気づくのです。

 才作家の「死」の意味と天皇(制)について、この世にいる限り、そのことを問わない日はないのかもしれません。






呉竹太郎(平成19年11月12日)


 走する日本の政治は繰り返される安倍・小沢二大政党の総裁・代表辞任劇で予期せぬ不可解さの中に突き落とされ続けています。

 だけ我が国が置かれている政治的現実の深刻な危機的状況を見事に象徴していると思いますが、福田・小沢会談に見る「大連立」の模索には、角福戦争のDNAを継承した二人の視界の独特な世界がそこにあることを垣間見た気がしました。

 まり、自社さ政権という「禁じ手」を政権維持の為になりふり構わず行えた「戦後体制」そのものの自民党の総裁と、政策の実現を大義名分として突然、自自連合に踏み切った過去を持つ旧自由党の代表なのですから、その思考と行動の帰結として密室的会談が行われたことは何も不思議なことはないと言えるのです。

 して、小沢氏の脳裏にはなお「政界再編成」が厳然としてあるんだなぁというのが実感であり、新進党解党の時や、自自連合の決断に続いて「またやったか」と思ったのも率直な感想でした。

 間の風評は小沢氏の辞任撤回の無様さにきわめて批判的ですが、しかししたり顔で評論家のようなことを言っている福田総理への非難が少ないことには私は疑問を感じない訳にはいきません。

 民党の一部から「われわれは大人の政党」などという感想が述べられていましたけれど、三週間も政治空白を生んだ安倍辞任劇の愚かさをもはや忘れてしまっているのではないかと思えるからです。

 るであっけなく壊れていった安倍前総理と、自ら心身ともに疲れてしまってプッツンしてしまったと語った小沢代表という二人の指導者の体たらくな姿を見せられて、結局は71歳の福田総理に妙な安定感を感じながら50%以上の国民の支持を得ている現象を見るにつけ、いつの間にか「世代交代」という声も聞かれなくなり、「歴史的な哲学」や「国民精神を高揚」させるような演説も聞かれることのない、調整型の政治家の出現によって逆に危機は深化していると言わなくてはならないのです。

 本をこんなに駄目にしたのはどんなに考えてみても、自民党にかなりの責任があるはずなのに、そのことを責任として全く受けとめているとは思えないことがその真因だと思っています。

 スコミも含めてその時々の現象に右往左往するばかりで、例えば松岡前農林大臣の自殺と緑資源の汚職問題などいつの間にか忘失してしまい、全てにけじめがつかないで流されていく。

 争の総括もバブル崩壊の責任も誰も取らないで通り過ぎて来た戦後日本の姿は、それが日本的な特殊な姿なのか、不条理な人間社会の現実なのか理解認識できないでいますが、国民精神の劣化は著しく、若者の利己主義化やモラルハザード現象を見るにつけほんとうに日本の未来に暗澹たるものを感じ、ひたすらこの国は下り坂にあるのだろうかと重くどんよりとした無力感や絶望感を感じてしまっているのも事実です。

 治だけではありません。

 「赤福」「船場吉兆」などの由緒のある日本を代表する老舗が食品偽装を平気で行って来た現実や、国防を司る監督官庁での業者との癒着など、全てが氷山の一角としか思えない日本の官僚・企業の堕落現象は実に目を覆うものがあります。こんなことで子供たちに大人が教育をすることが出来るのでしょうか。

 い先日まで「戦後レジームの打破」が叫ばれ、「憲法改正」もまた政治日程にあげられた時期がありましたが、今では昔日の感があり、国家百年の大計を論じるような雰囲気は政治の現場から消滅した感があります。

 「政治は生活」というスローガンを耳にする度に政治の魅力がどんどん失われてしまっているように感じるのは私だけなのでしょうか・・??

 竹会の「しなやかな竹の精神の復権」という主張は、その意味であきらかに「占領政策が骨の髄までしみわたって」衰退期に入っているとしかいいようがない日本の現実に、ほんとうに意義のある言葉だと思っています。

 治は自民党のためでも民主党のためにあるものではなく、国家国民の為にあるのであり、「政権交代」をしようが「大連立」をしようが、日本が再生しうるならばどちらでもいいというのが私の考えであり、ただどちらにしてもその期待を寄せることも出来そうにないと感じているのも現実です。

 成の関ヶ原となるはずの衆議院選挙が小沢辞任劇によって幾分しらけてしまったことは否めないところであり、民主党がその傷ついた期待感をいかにして復権しうるのかどうかが今後の焦点ではありますが、とはいえこれくらいのことで日本の政治が止まってしまう訳にはまいりません。

 田訪米と新テロ特措法の行方がどうなるのか。

 民党の姿勢は国際貢献なのか、それとも単なる対米従属でしかないのか?

 れを見極めるのは誠に困難であり、もっと詳細な国際社会や外交の情報を収集しなくては結論を出しにくいと言えます。

 本の政治家でその実態をしりうる位置にいる国際通が何人いるというのでしょうか。給油を止めることで日米関係が破綻すると考える意見も極端ならば、国連中心主義もまた何処までも幻想の域を出ず、戦略的なリアリズムや真の国益的観点からずれているような気がするのです。

 なくともアメリカの対北朝鮮政策を見ている限り、その顕著な変化から見て日本を非難するのはおかしいと率直に感じるところで、国連に巨額な資金を出しながら国連常任理事国にもなれない日本が、その際にアメリカからも突き放されていることを知りながら、ただずっと「お人好し外交」をし続けた来たことにそろそろ訣別すべき時に来ていると私は思っています。

 なやかな竹の精神の復権とは何か?

 れは戦後の日米関係も含めた「戦後体制的思考」の呪縛から一日も早く解き放たれることでしかありません。

 かし、安倍、小沢両氏の不可解な辞任劇の背景には実は「アメリカからの強烈な圧力」があっての展開ではないのかなという疑念が拭えないでいます。

 局、国会は35日間の延長を行い、参議院で否決された後に衆議院に戻して3/2で議決されることで再び給油を可能とするであろうし、衆議院の解散を政府自民党からちらつかせることによって90選挙区でまだ候補が整っていない民主党に問責決議案を出させないようにしている作戦に切り替わり、これからどれくらいの法案を通すことが出来るのかどうか注目されるところです。

 ずれにしてもこれほどの「ねじれ国会」は嘗て経験もしたことはなくそれだけに何が起きるのか一寸先は闇で手探りの国会運営が進められていることが安倍・小沢辞任劇であきらかになった訳ですが、平成の関ヶ原となる衆議院選挙の決着が行われない限り誰も見通しをつけることは出来ないと言わなくてはなりません。

 断と偏見が許されるならば、私は意外に大連立構想がここで潰えたのではなく、恐らく衆議院選挙が民主党の勝利になることは確実だと予測しているのですが、しかし過半数に届くことは出来ずに「ねじれ現象」はさらに深まるばかりの中で、あらためて政策協議を行う新たなルールづくりを協議せざるを得ないと思っているのです。

 なくては今度は小沢代表の指摘するように国民の為の政策の具体化が出来なくなってしまって日本の政治の混迷はどうにもならないところにぶつかってしまうことになるでしょう。

 とすれば政治を熟知しすぎた小沢氏がそのことを深読みし過ぎて「連立の罠」に填ったも思えるのです。それらのことを読み通した上で猿芝居を演じて見せたのかもしれません。

 ずれにしても、来年にはもう一度連立の言葉が踊り出す時期を迎えるものと私は思っています。

 田総理の「無原則戦略」が功を奏するのか、それとも小沢代表の「原理主義戦略」が歴史の新たな時代を拓くのか。なにやら私には福田総理が徳川家康に似ていて、小沢代表が石田三成に似ているような気がしてならないのですが、どちらにしても日本再生の道に繋がることを祈念してやまないところです。






呉竹太郎(平成19年8月14日)


 もや誰がこれほどまでの自民党の歴史的大敗を予想することが出来たのでしょうか。

 民「37」議席。

 票の日の安倍総理の苦渋を噛みしめた姿が痛々しく脳裏に焼き付いています。

 倍総理にとっては「戦後レジームの打破」を目標にして、教育基本法の改正や国民投票法案の成立、公務員制度の改革などと強行採決が続いたものの、それなりに重要法案を通して仕事をこなして来たつもりなのに、どうして国民はそのことを正しく評価をしてくれないのだろうと、自ら招来した危機的「事態」を充分に認識できないでいる孤独な男の呟きが聞こえて来るのです。

 僚のあきれんばかりの不祥事の連続や官邸の指導力の欠如を象徴する補佐官たちの存在感のなさ。

 会保険庁の消えた5000万件の年金事件と松岡農林大臣の自殺。

 してきわめつけに赤木後継大臣の「絆創膏」姿を見せつけられては、安倍内閣の業績など全く吹き飛んでしまったと率直に言わなくてはなりません。

 かし、選挙の勝ち負けや阿部総理の出所進退はともかく、私などはせっかく戦後62年目にもなってようやく生じて来た「憲法改正」の気運が一気に消し飛んでしまったことが悔やまれてならないところで、一言で断ずれば安倍総理は結局一国を引っ張っていく器ではなかったと申し上げるしかないと思っています。

 「安倍では駄目だ!」国民の多くがその意思を参議院選挙で示した訳ですから、「小沢か、私かを選択する選挙」だと自ら演説をしていたスタンスから見れば何故、潔く大敗の責任をとって辞任しないのか不思議でしかありません。

 はその「姿勢そのもの」が自民党の歴史的大敗を招来した本質的原因だと認識していますので、安倍総理の不決断状況が今日の窮地を招いたことをもっと厳しく受けとめなくてはならないと思うのです。

 理続投の迷走ぶりをまのあたりに見ているといかに自民党が蘇生能力を喪失してしまっているかを痛感しない訳にはいきません。

 えてみれば私は安倍総理が就任後に靖国神社に参拝されなかったことに大いに失意を覚えていましたが、全てに説明責任を欠き、「妥協と保身」ばかりの態度が国民に「弱々しさ」「指導力の欠如」を決定的に印象づけてしまったのです。

 の「脆さ」こそが、実は戦後レジームそのものを象徴しているのであり、民主党の前原前代表の辞任劇にも共通する「経験不足」と「人間力」の未熟さを強く感じるのです。

 て、次の焦点は衆議院選挙が何時在るのか?今後の国会運営がどうなるのかということですが、そこで民主党が政権交代に持ち込んで行くことが出来るのか。

 沢一郎氏の手腕が注目されるところで、にわかに政局が緊張感を増し、くるべき時がいよいよ来たのかなという感慨を覚えています。

 議院から法案があげられるだけではなく、参議院から独自に法案を出すことが出来る訳ですから、既に年金や郵政に対する六本以上の法案が検討されており、矢継ぎ早に提起されそれが衆議院に回されて否決されることで相当の混乱が余儀なくされることでしょう。

 民党の対応如何によっては年内の衆議院選挙も充分考えられる訳で、私などはぜひとも「十一月解散、十二月選挙」を強く要望するものであり、遅くとも来年の春には選挙があるのではないかと予測しています。

 の為にはテロ特措法の扱いがなによりも注目されますが、十年以上続く改革劇の集大成として、二大政党政治が日本に育つのかどうか、場合によっては再び政界再編成が起きることをも念頭に起きながら日本の政治のために行き着くところまで行くことを私は願っています。






呉竹太郎(平成19年5月28日)


  週、永田町は「きな臭い」雰囲気が漂いました。7月5日公示の参議院選挙が衆参ダブル選挙になるかもしれないという情報が駆け巡ったからでした。

 主党はそのことを受けて参議院選挙後まで凍結していた衆議院の空白区における候補者選びを急遽再開し始めたのですから、いくらか現実味を帯びてきたのです。

 ろん、どう考えてみても衆議院がこれだけ圧勝している状況のもとで、わざわざダブルに持って行く訳はないとタカを括っている自民党議員が多いなか、中川幹事長は今回の参議院選挙を「同日選挙級」の選挙と位置付けて党員に檄を飛ばしました。

 れほど、自民党にとって今回の参議院選挙があるいは与党の過半数割れをする可能性があるとも囁かれているからでもあります。

 沢一郎代表はこれまで党運営を全て管代表代行と鳩山幹事長に任せっきりにして、選挙対策にずっと専心して来たことは衆知の事実であり、地方の様々なところに出没をして自民党の地盤を脅かして来ました。

 して、それなりの手応えを得て自信を深めて来たと言われています。確かに一人区では民主党が善戦している予測が出回っており、自民党が危機感を深めていることは想像に難くありません。

 なくとも統一地方選挙のように民主党が躍進し、与野党の議席が伯仲することは既に明らかで、自民党の後退は非を見るよりも明らかです。

 かし、問題は一議席でも野党が与党を上回るかどうかが焦点であり、もしそうなれば一気に政治は流動化し、法案の全てが参議院でストップし、安倍政権は衆議院を解散して国民に信を問わざるを得なくなり、あるいは政権交代ですら現実的なことになっていく可能性も充分にありうることになるのです。

 まり、それほど平成の関ヶ原的な参議院選挙になる訳ですから、国民の関心がもっと高まっていいはずなのですが、そうした緊迫感が見られないのが実情で、日本の未来をもっと身近なこととして見据えていただきたいと心から思うところです。

 れでも、多くの人からほんとうにダブル選挙になるのだろうかとの問い合わせを受けるのですが、むろん安倍総理の胸の内を正確に読み取ることなどは出来るものではありませんし、総理自身「一切衆議院選挙は考えていない」と記者会見では公言しています。

 もかかわらず、小泉前総理の強引な郵政選挙を経験しているだけに「政治は一寸先が闇」であり、何があってもおかしくないと疑っている人が意外に多いのです。

 邸筋からは「自民党は現段階では参議院選挙で充分勝てると予測しているので、衆参ダブル選挙にはならないでしょう。

 りわけ公明党の反対は強烈で、安倍総理がそれを押し切って行くだけの決断力があるとは判断しにくいのです」との声が聞こえて来ます。

 かし、ある総理の側近は私に「安倍晋三という政治家の宿願は、祖父岸信介がやり残した憲法改正であり、それなくして日本の再生はあり得ないと頑なに信じている」とのことで、「持論を制御してさえも中国や韓国の主張に屈し、アメリカに飛び火した従軍慰安婦問題でも謝罪を繰り返し、信条とした靖国参拝でさえ我慢をして、しかし国民投票法案だけは強引に成立させたことに象徴されているように、自らの任期中になんとしても憲法改正を実現して歴史に名を残したいと考えているのです」と囁いてくれました。

 「安倍さんは意外に頑固な方です」と側近氏の目がきらりと光って、「国民投票法案が3年後に施行される訳ですから、憲法改正案を上程するためにはその準備にこれから入らなくてはなりません。

 議院選挙だけでは憲法改正を争点として戦いにくいところにあり、しかも厳しい結果が予測されている訳ですから、この際は郵政選挙のように憲法改正の踏み絵選挙として国民に信を問うための衆参ダブル選挙をうてば、民主党は改憲派と護憲派が入り乱れているだけに非常に対応しにくいことになって、自民党が安定勢力を衆参で確保することができるとシュミレーションしているんですよ」と語ってくれました。

 「憲法改正選挙か…」と思わずうなりましたが、確かにそこまでの無謀な賭けに出てくることがあれば、「戦後レジームの打破」もまんざらスローガンだけではないのだなと安倍総理を政治家として評価したい気持ちになったのも正直なところです。

 十年という時間を経ても日本は憲法を一字も改正できないという奇妙な国です。かつて学生時代に岸元総理が情熱を傾けておられた自主憲法制定国民大会に出席をしたことを記憶していますが、国家として時代に即応した憲法を修正し育てていくのは当然のことだと私は思っています。

 かし、そのことがただ「九条問題」だけに集約されるのがいいのかどうかには疑問がありますが、それにしても「冷戦構造と55年体制」の呪縛から脱皮すべき時に来ていることは確かだと思います。

 人の自民党議員たちは半信半疑ながら「同日選挙的態勢」に臨むべく活動を選挙モードに高めつつあります。

 えす民主党側もバラバラだとか様々な批判を受けつつも統一地方選挙後の上昇ムードを受けてそれなりの体制づくりに動き始めています。憲法改正派の議員などはこのままでは選挙後に政界再編成があるのではとも囁くほどで、戦々恐々としているところです。

 は、安倍総理が本気で政治的生命を賭けてそこまで踏み切ったとしたら自民党が安定多数をとって、民主党の解体すらありうる出来事だと思っていささか興奮するところですが、公明党・創価学会の反対を押し切ることが出来るとは想像しえないでいます。

 法改正を正面に掲げて衆参ダブル選挙が行われるとしたら、いよいよ日本も真の意味で「戦後が終わろうとしているのか」と言えるかもしれない歴史的節目に立つことは言うまでもありません。

 かし、憲法9条の2項が削除もしくは修正されることでほんとうに何かが変わるのだろうか。

 回も述べたようにそれが実はアメリカの要請による戦後体制の完成に過ぎないのではないかという疑問がつきまとうのである。

 米同盟の補完のための憲法改正ではないようにまだまだ時間をかけて国民的な論議が不可欠であり、これからの日本の未来の座標軸としていかなる憲法がいいのか、少なくとも自民党案を見る限り必ずしも胸躍らない自分がいることに気づくのです。

 民投票法案の準備については「政争の具」にしないようにと当初は自民党と民主党の間での協議が順調に進められてきたにもかかわらず、安倍・小沢両氏はあえてそれをぶちこわしてしまいました。

 日も当事者であった自民党の船田氏と民主党の枝野氏がテレビでそのことを批判していましたが、両党首の対決姿勢は理解出来なくもありませんが、逆に憲法改正のハードルを高くしてしまった印象も拭えません。

 「憲法改正」対「生活維新」の戦いの設定は正直に言って、日本の政治の水準を象徴しており、決して好ましいあり方ではありません。民主党は公党として決して憲法論議から逃げてはならないと思います。

 れ故にこそ、民主党には国民政党に脱皮出来ない脆弱さを拭えないのであり、民主党が何を目指す政党なのか、国家論や防衛論において責任政党たりうるかとの疑念が生じるのです。

 こで、私はここいらでもう一度、改憲派と護憲派に別れて政策別に再編成をしてもらわなくては、国民の政治意識の成熟が進まないのではと思っています。

 の意味では衆参ダブルによる憲法改正選挙は政治家一人一人の理念を明らかにする上で、歴史的な選挙になりうる可能性があるのかもしれません。

 泉前総理は「自民党をぶっ壊す」と言って国民的人気を得ましたが、いくらかパンチ力のない安倍総理がここで「憲法改正、是か非か」と正面から国民に問いかけた場合、私は政治への国民の関心を喚起し、高い支持率を勝ち取って、自民党が圧勝するような予感を感じています。

 邸の友人は言いました。

 「公明党の圧力をはねのけても衆参ダブル選挙に持ち込む可能性は30%。6月の世論の動向によるでしょう」私は、日本に二大政党政治を必要とする論者ですが、民主党を政権政党に育てるためにも憲法問題に正面から向き合うことは不可欠なことだと思います。

 倍総理よ、ぜひとも衆参ダブル選挙に踏み切られんことを望みます。







呉竹太郎(平成19年5月7日)


 は、どちらかというと「憲法改正」を正面から掲げた安倍政権の誕生を前向きに評価し、失望しない程度の期待感を抱いて来ました。

 れは、施政演説で「戦後レジームの打破」を堂々と主張した戦後はじめての内閣ですし、「拉致問題」での強硬路線によって国民の信頼を掴み、「歴史認識」においても様々な機会を通じてしっかりとした識見を主張しておられたからでした。

 かし、総理就任後の安倍総理の発言と行動を見ていますと、わずかの間に、期待感は危惧感になり、「やはり」というのか、総理になるということは「こういうこと」なのかと、「戦後」日本という国家の置かれている現実と限界性をまざまざと見せつけられ、その結果、期待感は危惧感に変化し、決して首肯することの出来ない「情況」に日本が陥りつつあるのではないかとの感想を抱いているのです。

 倍内閣は「戦後レジームの打破」と掲げていますが、その言葉の意味するところは一体何だったのでしょうか?

 肉なことですが、このままではむしろ安倍内閣こそ戦後レジームを見事に「完成」させつつある政権なのではないかと指摘せざるを得ず、その言挙げせぬ「あいまい」な態度が、日本の立場をわかりにくいものにしていることは誰もが感じていることだと思います。

 かに「教育基本法の改正」が断行され、国会でも教育論議が盛んに繰り返されつつあると同時に、防衛庁を「防衛省」に昇格させ、続いて、憲法改正の為の「国民投票法案」を、いかにもすっきりしない手続きで強硬に衆議院を通過させました。

 して、今度は「集団的自衛権」についての検討を正面から指示し、それをお土産として訪米し、ブッシュとの会談に臨んだ訳です。

 った一泊の訪米で「ジョージ」「シンゾウ」とファーストネームで呼び合う記者会見に、私は小泉時代とは違う不自然さや違和感を強く感じました。とはいえ、それからの中東訪問で、にわかに支持率を持ち直している様は、形の上では矢継ぎ早に挑戦的な試みに苦心していることが、国民の一定の評価を得ているのかもしれません。

 かし、われわれにとっては、少なくとも総理に就任される以前は「靖国神社」に対してもきちっと評価出来る姿勢を保持し、教科書問題や日本の近現代史においても見識を論じられていただけに、どうして就任後は中国や韓国にここまで妥協的態度を取るようになり、疑問を投げかけていたはずの「河野談話」を簡単に継承してしまったのか、そのことが引っかかってしかたがないのです。

 して、韓国の論者が強く非難しているように、何故「従軍慰安婦」の問題で、日本がアメリカへの謝罪をしなくてはならなかったのか、全く奇妙な現象であり、ここにおいて内外に「日本の正論」を堂々と主張することが出来ずして、ただ一時的な沈静化をもたらしえたとしても、戦後日本人の心はますます「屈折」していくばかりではないかとの懸念を覚えるのです。

 や、政治家個人ではどんな意見を有していても、内閣総理大臣になってしまえば「政府の立場」なのだから、かかる妥協は「国益」を基本とする外交ではやむおえないことなのだとの意見が大勢をしめているように思いますが、では、政治家としての一貫性や信念とは何なのか、総理だから曲げざるを得ないという歴史観などがありうるのだろうかと強く問いたいところなのです。

 の文脈で考えれば、どうも防衛庁が「防衛省」に名前を変えようが、「憲法九条」に自衛権を明記しようが、あるいは現行憲法のままで「集団的自衛権」を認めようが、それは何処までも「日米軍事同盟」の必然的な要請の範囲の中での「修正」でしかなく、実のところは戦後レジームの打破とは全く異なった次元の話なのかもしれないと思えてきます。

 ろん、アメリカとの貿易量よりも中国とのそれのほうが既に上回っており、景気浮揚の原動力が中国との経済関係に負うところも大きいことを繰り返し喧伝されています。それ故に、「商売の為には魂を売っても」しかたがない、それが戦後日本の国是なのだからと、今では自民党も民主党もともに大合唱しているとしかいいようのない政治の姿を呈しています。

 かし、そのことはどう考えて見ても戦後レジームの「完成」でなくて何なのでしょうか。靖国神社の英霊よりも、日本及日本人の矜持よりも、現在の生活の安泰が何よりも大切なのですから、カネが全てのホリエモンのような若者がどんどん増えて、その結果「ニヒリズム的精神状況」が蔓延するばかりで、日本の指導者はかかる深刻な事態を感受する力を喪失してしまっていると言わざるを得ないのです。

 う言えば、諸外国に歴訪される安倍総理がそれぞれの国で演説する際にいつも好んで強調されるくだりに「自由と民主主義という共有する価値観」というフレーズがあります。

 はそれを耳にする度に「ああ、奇妙に横文字の好きな安倍総理の教養や感性は、実は最も戦後レジーム的な意識そのものなんだな」と世代的にも納得していたのを思い出します。

 たして世界の国々に、これほど「主権国家」としての自己主張に欠いた政府というものが存在しているのでしょうか?

 倍晋三という政治家は、歴史と伝統を軽んじ、ひたすら経済国家として無機質な社会を形成して来た戦後日本の現状をこそ強く憂いて、その克服を政治的大目標に、総理の座を目指して来たのではなかったのでしょうか?

 局は、戦後教育を受けて育ってきたひよわな指導者でしかなかったのか。私人である時は勇ましいことが発言できても、公人としてはきちっとした自己主張が出来なくなり、腕力のある隣国に押さえ込まれてもただ忍耐あるのみで、例えば、松岡農林大臣のように平然と国会の場で嘘を繰り返していても決してお咎めのない倫理観の欠如に、私は安倍政治の本質を見てとらざるを得ないのです。

 なわち、座視できないのは、戦後レジームの象徴のような安倍総理が、「ナショナリズム政権」であることを装いながら、そのことによって保守派の満足を担保しつつ、実は最も本質的なところで日本の自覚されたナショナリズムの成長を阻害しているということであり、いや、むしろナショナリズムそのものの「頽廃」をもたらしつつあると言って過言ではないということなのです。

 のままでは、単なる「軍事ミニタリズム」への信仰の復活を「助長」することが出来ても、日本及日本人の「守るべき価値とは何か」を真摯に問い、戦後体制の持ち続けてきた問題点への本質的なところでの戦い、すなわち、言葉の最も純粋な意味での「戦後レジームの打破」には、何ら寄与することが出来ないのではないかという焦燥感を覚えるのです。

 近な例では、最近惹起した自衛隊幹部からイージス艦の機密が漏れていた事件や、ロシアのエリツイン前大統領の葬儀に大使しか参列しなかったという外務省の判断のおそまつさが、「情報」と「外交」での戦前、戦後を通じて変わることのない日本の体質を露わにしており、同時に官邸機能が強化されているはずなのに、危機管理や戦略的思考の欠如は、まだまだ著しいものがあると言わなくてはなりません。

 今、日本及日本人にとって何が大切な時なのか。戦後レジームの打破に必要な「戦後的思考からの脱却」をはかるためには何をなすべきなのか。誤解を恐れずに言えば、たとえいくらかの国際的摩擦と困難を生じさせたとしても、ここで主権国家としての主張をしっかりと貫くべき時に来ていたのではなかったのか。にもかかわらず安倍政権によってかえって肝心なところを放棄してまったのではないか。

 うした疑問が尽きないと同時に、いいしれぬ憤怒の念を覚えない訳にはいかないのですが、それでも、戦後日本の占領政策の見事なまでの完成を安倍内閣が遂行してしまっているという思いが何処までも杞憂であることを願っていますし、内外情勢に関心を寄せる限り、日本及日本人が重要な歴史の段階にさしかかっていることの認識をより深めるばかりなのです。

 「戦後遺制の呪縛」から解放されない限り、日本の真の自立は不可能だと言わなくてはなりません。残念ながら安倍内閣はその呪縛から自由ではなく、むしろ足を掬われてしまった感があります。

 治は目先の利益に心を奪われるのではなく、日本及日本人の生きる指針を示さなくてはなりません。今日の日本はそれが「融解」してしまっている訳で、そのために「迷走」を繰り返していると言えます。

 倍総理にわれわれが期待したのは、その根本のところからの日本の「指標」の再構築であり、それが「明治維新」「戦後の改革」に続く「第三の改革」なのであり、日本の自立への道なのでした。

 ろん、冒頭に「失望しない程度」にと断っておいたのは、自民党政権では構造的に困難だという認識があるからですが、それでも小泉前総理以上に筋を通す人なのだと期待を寄せたのは正直なところです。

 び今年もやがて「終戦記念日」が巡ってまいります。ここで、アジア外交の現実的成果を大切にしようとするのか、政治家安倍晋三としての一分の意地を貫き通そうとするのかの選択が注目され、真価が問われることとなるでしょう。今の流れでは既に答えは明らかであるようですが、われわれは中国の「対日戦略」に惑わされ、とりかえしのつかない落とし穴に入り込んでしまったような気がしています。

 倍外交に比べれば、はるかに中国のそれはしたたかです。あくまで中国はアメリカと日本の分断を志向し、アメリカもまた中国と日本が基本的に親密化することを望んではいないのが国際的現実です。

 して、日本はアメリカのためや中国のために在る国でなく、日本が考えなくてはならないのは日本の「国益」なのです。

 のことを踏まえた上で、情況と立ち向かわなくてはならないのです。

 よいよ後半国会が始まりますが、外遊を終えた安倍総理が政治家としての志をもう一度問い直され、自らが掲げた「戦後レジームの打破」という「原点」に立ち返られることを心から祈念するものです。

 して、次世代の青年たちが、国際社会でのあたりまえの視野と歴史的認識を学びとり、先人たちの努力が無駄とならない日本の再生への道を歩みうるように、「しなやかな精神の復権」を求めるものです。






呉竹太郎(平成19年4月9日)


  本人にとって「政治」とは何か、大袈裟な言い方ですが4年に1度の「統一地方選挙」の季節になるとあらためてその問いを発したくなります。

  も友人の候補者の為に微力ながらお手伝いをさせていただき、投票にも行って参りましたが、応援依頼をしながらも、何故かある種の「醒めた感覚」を拭いきれずに終始してしまいました。

  っと具体的に申し上げれば、関心も投票率もきわめて「低調」で、地域の未来を選択するなどという緊迫感は感じられず、当事者とその周辺の方々だけが熱くなる戦いに、いったいどれくらいの意義があるのだろうかと疑問を感じてしまったのです。

  来、「議会」は行政の「チェック機構」として住民を代表して構成されているのですが、税金から高い報酬を与えてまでもそれに値する機能を充分に果たしえているのかと問うと、おそらく多くの人が懐疑的な立場に立たれるのではないかと推測するのです。

  れは、かねてよりよく問題になってきた視察旅行でのセクハラや汚職の横行だけではなく、マスコミ等で報道されてつまびらかになった議会の「調査研究費」が、政治以外に私用されて来た実態や、「夕張市」などのように、市の財政破綻が余儀なくされたにもかかわらず、議会がそのことに無力でしかなかったことが、衆目の知るところになってしまったことも影響しているように思います。

  や、「地方自治体」の経営はこれまでのように公共事業を軸とした補助金行政に支えられた経験では、いかんともしがたい程厳しい時代を迎えており、夕張市の現実が決して他人事ではないことを痛感せざるを得ない情況にあると言わなくてはなりません。

  れだけに地方議会もまた優れた人材を送り込んで行かなくては結局は住民自身がそのつけを払わざるを得ない事態を招きがちであり、常なる議会の「自浄能力」が求められるところなのです。

  直なところ、行政はその「本音」の部分で住民の代表たる議会に対しての尊敬の念には欠けているところがあり、しばしば軽蔑さえ交えながら役人は議員を「必要悪」的存在と認識して対応していると言っても決して過言ではありません。

  えば、地方議会での質疑もかなりの部分が役人によって作成されている場合が多く、正直なところ適当に手なづけられてしまっている議員が圧倒的だと認識しても過ちではないでしょう。

  すから、議会は「施策」を実施するにあたっての一応の市民の承認を得たという形式を踏む為の単なる「セレモニー機関」に祭りあげられてしまって、チェック機能が充分に果たされていないケースが多いのです。

  れは、端的に国政では「野党である」民主党や社民党が、地方議会では共産党を除いて「オール与党」となっている場合が圧倒的だからであり、残念ながら馴れ合いや談合政治の温床となりがちだと指摘できるのです。

  近の雑誌で「地方議員への就職」活動が特集されていて、堂々と若者がインタビューに答えて、「職業」としての議員をその報酬を目当てに選択し、立候補していることが記事になっていました。

  らの視野には「弱者の救済」も、いわんや「全体への奉仕者」としての自覚など、議会制民主主義が歴史的に培ってきた精神的諸価値などとは、ほとんど顧みられることのない存在となってしまっていることに驚かされました。

  は、もしも「議会がなかった」とすれば、そのために行政がどれほど横暴なかつ非効率な存在になってしまうのだろうかと考えると、明らかに行政側の緊張感をより喪失させるだろうことは想像に難くありません。

  かし、そのことを考慮してさえも、ほんとうにいかほどの存在価値が議会にあるのだろうかと問いかえすと、ただ「民主主義のコスト」としてやむを得ないシステムなのだと答えるしかないのかなと私も思っています。

  れだけに、統一地方選挙で投票率を飛躍的にあげようというのはもともと至難の業であり、無党派層の増大や、若者の政治離れもやむを得ないことかもしれないとすら感じていることも事実です。

  しろ、健全な政治感覚があればこそ自分が納得して投票できる候補者が見つからない、それ故に地方議会の選挙に強い関心を持ち得ないと主張されたとして、誰がそれを無責任だと非難出来るのでしょうか。

  だそんな時には何処までも投票行動にだけでは出て、候補者の氏名は書かずに「白紙」で投票したらどうなのかとアドバイスをしていますが、無効票が多ければそれ自体が有権者の意志を表していることになると思うからです。

  れよれも以上に、何故もっと政治の側から、政党に魅力を感じさせ、国民の政治への参加を促しうる十全の努力をしないのだろうかと、その方が疑問になるくらいに与野党ともに政党が民意をしっかりと代表しえていないような気がしてなりません。

  力にとって無関心な大衆ほどありがたい存在はなく、日本の若者の政治的ポテンシャルの低さは周囲のアジア諸国に比べてもあまりにも顕著であり、そのことによって政権交代が起きえない情況が続いるのは情けない限りだといつも思っています。

  隣の韓国でも台湾でも、インターネットを武器に若者の政治参加によって政権が大きく変わり、中国や北朝鮮等の「一党独裁国家」以外の国々では、全てと言ってよいほどドラスティックな変化を生じていることを見ると、日本は「改革」の合唱だけは大きいものの、「不思議な国」だと言わざるを得ません。

  後日本は、随分アメリカナイズされて来たと言われています。

  かに物質的な意味でアメリカ的生活はかなりの水準を満たすようになったことでしょう。

  かし、政治的な意識においては、あるいはその選挙戦も含めて、どれほどアメリカナイズされたのかと言えば、むしろ全くと言っていいほど「お上に任せて」しまっていて参加型の民主主義を体得したとは言えない現状なのです。

  る民主党の議員が、議員は基本的に「ボランテイア」にすべきであり、議会開会時に「費用弁償」を支払うのは認められても、生計をそれでたてていては迫力のある議員にはなり得ないとテレビ等で主張していますが、大筋において私もその意見に賛成であり、サラリーマンが傍聴できるように地方議会は夕方から開かれるようにして、むしろ活動費だけの報酬にして、積極的に住民の為に活動する一目置かれる存在になるべきではないかと思っています。

  して、中央集権体制の厳しい日本では、町づくりや福祉、教育などの市民生活に最も身近なことを論議していても、実は国からの「補助金許認可行政」によって、およそ個性的な施策を打ち出せないような仕組みになっており、日本中の町が東京の金太郎飴的存在になってしまって、「地域の個性」がどんどん失われて来ていると言えます。

  方議会こそ、そうした国のお仕着せの施策を下請けするのではなく「地方分権」の潮流を醸成する拠点として、真に地方から国を変えていく活力を備え持てるようになっていかなくてはなりません。

  の意味では、統一地方選挙は市民が地域を見直すきっかけにもなる4年に1度の選択点だとは言えるのですが、実際はそうした議論が熱く戦わされる訳でもなく、相も変わらず「名前の連呼」だけで宣伝カーが通り過ぎていく風景をしらけて見送りながら、そろそろ旧態依然とした選挙のあり方をなんとかしていただきたいと率直に思うところです。

  はり、無関心こそは「変化」の一番の敵だと言わなくてはなりません。

  選された議員の皆さんにはぜひ選挙から選挙の期間中にだけあれこれと活動するのではなく、日常活動の結果が真に評価を受ける選挙を目指す公僕であって欲しいと心から願うばかりです。

  はいえ、現行の「公職選挙法」に従って選挙運動をしている限り、なかなか住民の参加意識を高め、アメリカのような熱い高揚感のある選挙は望むべくもありません。

  れでも、都知事選挙は多彩な人材が出馬したことによって投票率が10%も増えました。にもかかわらず石原慎太郎氏が圧勝しましたが、治安や環境問題への取り組みの実績と強いリーダーシップが引き続き都民の評価を受けたのだと思います。

  半戦も含めて、「自民減、民主増」の基調は変わらないことでしょうが、地方議会が決して「大政翼賛会」にならぬように、それぞれの地域での議会のあり方を厳しく見守っていく必要があります。

  れから大いに全国の議会で、教育や福祉、少子高齢化社会への対応など、様々な課題で行政との間で活発に議論が繰り返されることになる訳ですが、ただ「税の分配」への駆け引きだけでは既存のシステムの上での小手先の行為に過ぎず、国と地方のあり方も含めたもっと「日本人の生き方」そのものが問われている時代にふさわしい骨太の論戦が各地で展開されることを強く要望するものです。






呉竹太郎(平成19年3月19日)


 「戦後レジームの打破」として「憲法改正」が正面の課題となる時、護憲勢力からは相変わらずのように、「国家主義の独走」といった幻影への危機が盛んに叫ばれ、「平和と人権主義」のお題目が何処からともなく盛んに唱えられます。

 の、定型的な反応の態度に隠されている意識の底流には、「国家」と「個人」は決定的に対立するものという古典的観念が、思考の奥底に黴のようにこびりついてしまっているようで、どちらかというと団塊の世代と、その以前の人たちにそうした拘りをお持ちになっている方が多いように感じています。

 ルクス・レーニン主義が強い影響力を持っていた時代の「国家論」の亡霊がまだまだ日本の言論界には一定の呪縛力を持っているようで、その為に常に議論が硬直し、憲法改正の動きは全て平和への反動と見なされ、国家主義的な策謀だということになってしまうようです。

 かし、一方の保守側も岸信介氏が「自主憲法制定運動」に情熱を傾けられていた70年代に、私は何度か武道館で開催されていた大会に参加した記憶がありますが、当時の認識では自民党の大半の議員も実のところ経済政策に力を注ぎ、安保闘争の時代のように国を二分した論議は得策でないと考える人がほとんどでした。

 まり、真剣に「憲法改正」を実現しようと考えていた人は実に少数だったということであり、いわば自民党は国家のことよりも国民生活のこと、すなわち金儲けを優先して来た訳で、そうした「経済優先政策」が見事に功を奏して、世界で第二の経済大国にまで成り上がり、ますます国家論は遠ざけられて行ったのです。

 の頃の政治家の多くが「衣食足りて礼節を知る」と演説し、充分に国民の腹が一杯になればその後に「道議国家」建設の番が訪れるとあたりまえのように論じていました。しかしながら、その後「物栄えて心滅ぶ」と政治家の口調が変化して来ますが、充分に衣食が足りたはずなのに一向に礼節を知る国に近づいたとは言えない情況になってしまったのはどういうことでしょうか。

 局のところ、経済功利主義に走り過ぎた戦後の日本人が、大切な国の筋を通すことを先送りして来たために、国民の心の荒廃を招いていったのではないかと私は思っています。

 念なことですが、どうも戦後日本の政治の座標軸は、憲法でも、国体でも、防衛でもなく、「体制論と経済」でしかなかったということであり、その思想の空白の中で生命以上の「価値」を訴え、憲法改正を叫んで死んでいったのは三島由紀夫氏くらいでした。

 の後日本の政治が安保闘争以上に熱くなることは一度もなく、まして憲法改正が国民的な論議になった時期も全くありませんでした。

 月に予定されている参議院選挙への争点を問いかけたアンケートでは、憲法改正に○をつけた人は5、6%でしかなく、国民の関心は年金や景気、福祉などに向けられ、身近な教育までは二桁のラインまでいくものの、防衛や国際情勢には無関心であることは変わりませんでした。

 わば、戦後体制のもとで日本人は限りなく「小市民化」し、「公」への関心や感覚を著しく喪失して来てしまったと言わざるをえないのです。むろん小市民の全てが悪い訳では決してありませんが、公への責任を失って、ひたすら私が肥大化しただけでは評価できる市民の姿だとはいいがたいということです。

 後体制とは、国家の大切な部分をアメリカに委ねてしまって、信じられない位に軽量化した体制ということなのでしょうか?

 国会では、憲法改正の為の手続きに不可欠な国民投票法案の審議がなされようとしていますが、野党の反対と公明党の躊躇によって、今のところ盛り上がらず、目処もたたないでいます。

 法改正の要諦は言うまでもなく、「前文と九条」にあり、その見直しこそは、そろそろ日本人が「主権国家としての自立性」を取り戻すことに他ならないのだと私は思って関心を向け続けて来ました。

 なくとも、アメリカの核の傘に守られながら一国平和主義の幻影に陥ったままでいることの欺瞞性から解放されることが、本質的な意味での「戦後レジームの打破」であると認識していますので、まだまだ遠い道のりなのだなと重い気持ちにならざるを得ません。

 に、60%以上の国民が憲法改正を一応は支持しているにもかかわらず、そのことへの緊急性をほとんど感じなくなってしまっている今日の日本人の国家意識の欠如は、良く指摘されることですが、マッカーサーによる占領政策の完膚なきまでの精神的完成としかいいようのないほど、見事に「骨抜き」にされてしまったのでしょうか。

 うまでもありませんが、国家と国民の関係はどちらかを上位に位置付けるというものではなく、それらは「相即関係」にあると認識すべきであり、国家主義的な運命共同体論や有機体的認識も、コスモポリタニズムに基づく国家否定論も、ともに極端な「観念論」でしかなく、国家の実態や現実を正しく見据えていません。

 かし、一般的には「権力」を保有する国家の方が、一人一人の国民に比して明らかに力があり、為政者の心がけによっては国民の幸、不幸が著しく左右されることは、歴史を顧みれば明らかです。

 もかかわらず、人間は本質的に文化共同体的存在である以上、個的世界を超えた紐帯がどうしても不可欠であり、優れて集団主義的な動物なのであり、本質的に「国家的な動物」であるとも言えます。

実に銘記すべきことは、ここ数世紀は世界史の原動力としての国家の「存在価値」はいささかも揺らぐことなく、民族や宗教的価値と交差しながらも、ナショナリズムの時代を当分の間経験していくしかないということです。

 あるならば、日本および日本人が生き延びていくために必要な基本的姿勢は、先述したように「主権国家としての日本」の回復を図ることであり、「民族の気概」をしっかりと取り戻しておかなくては、混沌とした未来を乗り切っていくことが出来なくなってしまうのではないかと危惧するのです。

 のための骨格となる作業こそが、憲法改正であり、国家としての根本のところを正すことに他ならないと私は確信しています。

 論界や政治の世界では、護憲に対して、論憲、創憲といったあいまいな立場が主張されていますが、既に、戦後61年の間に、憲法の論議はもうほとんど出尽くしてしまっていると言っても過言ではないでしょう。

 かも、現象的には阿部総理の誕生によって戦後はじめて正面から憲法改正を掲げる政権が生まれたのですから、こんな画期的なことはないのであり、好機到来でもあるはずなのです。

 し、安倍総理の在任中にそれがなされたとすれば、防衛庁の省への昇格と教育基本法の改正と含めて、歴史的な偉業を達成したことになることでしょう。

 もかかわらず、憲法改正が政治日程にのりつつある今日の段階でも国民運動が盛り上がる訳でもなく、その為の論議がいっこうに深化する訳でもありません。

 くの国民にとって憲法のことなど実はどうでもいいことなのであり、あまりにも長く日本国憲法をあたりまえとして、戦後体制のぬるま湯に浸かり続けて来てしまったのでしょうか。

 つて、韓国のサムソンの社長が「日本なんてぬるま湯を出られないゆでガエルだ」と辛辣に表現したことがありましたが、「気概なき日本」ここに極まれりという思いでもあり、憲法改正が実現するのにはまだまだ相当の時間を要するようです。

 竹会・アジアフォーラムは、しなやかな竹の精神の復権を目的として研鑽を積む勉強会ですが、これからの国家と個人に対する思想的態度は、「人権なき国家主義」でも「国家なき人権主義」でも、普遍性を持ち得ないと認識しています。

 して少なくとも、近代主義の幻想から解き放たれたより柔軟な新しい時代の国家論、人間論を模索して行く力量を持たない限り、「気概のある日本」の再生はないと考えています。

 家と個人、普遍と個別、インターナショナリズムとナショナリズム、かつて様々な議論が積み重ねられて来た古くて新しい課題ですが、もう一度、そこを解きほぐすことが、憲法改正への過程として求められているような気がします。

 まりそのことが、自覚化されたナショナリズムへの覚醒であり、逆にインターナショナルに繋がる道なのではないでしょうか。






呉竹太郎(平成19年2月26日)


 際情勢のめまぐるしい変化は固定した観念では決して捉えることができないことを、最近のブッシュ共和党の選挙における敗北以降のアメリカの世界戦略的変化が物語っています。

 会は通常国会が招集され、安倍総理の「所信表明」に対して野党側から「代表質問」がなされ、それを受けて予算委員会が連日開催されています。

 回は、戦後はじめて「憲法改正」を正面から掲げた内閣がスタートしましたので、いくらか期待感をもって憲法論争が盛んになされるのかと思い、

 疑の大半に耳を傾けてみたのですが、残念ながら現時点ではほとんど「争点」にもなっていないことに強い失意を感じないではいられないでいます。

 主党は憲法のことでは改憲、護憲の立場を一本化出来ないことからか、「憲法改正よりも生活維新」をと、格差社会の問題を第一義に掲げていることはご承知の通りですが、 各大臣の脇の甘い発言を巡っての追求や、事務諸費などの政治とカネとの問題などにより時間が割かれてしまっている為に、肝心の平成19年度の予算編成に関しての政策論争もまた、実に少ないことに気づくのです。

 0数年前から始まった「政治改革」の基軸になったのは、「政策中心の政治」の実現であり、選挙もまた後援会や人間関係で選択をするのではなく、 掲げる政策をもって選択が出来るシステムを構築することでした。そのために、より国民の意識が高まらなくてはならず、「小選挙区比例代表制度」が歴史的に導入されたことはご承知の通りです。

 れに続いて、国会の論議での「政府委員」が廃止されたり、副大臣制度が導入されたり、また骨太の論議を戦わせる党首討論が行われたりと、 与野党の政治家同士が論戦する仕組みに変えられたにもかかわらず、どうも政治改革の目的が具現化されているとは言い難い現実があることに気づくのです。

 かに予算委員会はテレビ中継もあり、パフォーマンスに走りがちであることはいきおいわからないではありませんが、地味ではあっても政策論争をしっかりとすることこそ、 国民のリーダーシップをとるべき政治家の責務であると私は思います。

 うして考えると、国家の百年の大計である憲法改正の論議が低調であるということは、 国民が生活の範囲にしか思いをいたすことができない「利己主義的風潮」をまるで象徴しているかのようであり、戦後自民党がリードしてきた「経済至上主義」によって、 国家の行く末などに関心を持つことは空しいことであるとの認識を普遍化させてしまった結果なのではないのかとあらためて痛感するのです。

 らば、せめて国民の代表たる政治家だけでも憲法論議を真摯に交えてほしいと心から願うのですが、 自民党の中からも憲法は争点にならないとの意見が出されており、 これはまさに「国家の思考」を喪失した戦後日本人のあり方そのものを代表していることしかいいようがなく、 「戦後レジームの打破」などと主張することが、そらぞらしくも思えて来るのです。

 治家の気概のなさ。志の低さ。骨太の論議が出来る政治家が少なくなっていること。

 うまでもないことですが、そうした現実をまのあたりにすることで、政治と国家の未来に暗澹たる思いに陥る人も多いのではないかと思うのです。

 治の政治家たちは、憲法の制定、議会の開設、条約の改正を熱く語り、時には信念を貫くことで命を投げ出した人も多くいました。

 の先人たちの辛苦の努力の延長線上にあるはずの現代日本の政治の現場で闘わされている論議が、 「政治は生活である」と言って身近なことだけに関与しているようでは、国家国民の未来を託するにふさわしい夢やビジョンを語ることが少なくなってしまうのも自然な姿だと言えます。

 治家はもっと現実をシビアに語るとともに、国家や民族の未来についても魂を揺り動かされるような政治哲学を語るからこそ、国民の心を惹きつけるのであり、若者の眼を輝かせることができるのです。

 かるに予算委員会を拝聴する限りにおいては、私はこの國の未来に暗雲を感じるばかりであり、憲法改正を支持する国民が60%を超える時代を迎えているにもかかわらず、 その為の力強い胎動が生じて来ないことを真に心から残念に思います。

 ジアにおける「中国やインドの台頭」とアメリカの相対的な後退。

 鮮半島や台湾の不安定な状況などを冷静に考える限り、日本はますますアジアの中において困難な環境に陥っていくことが強く危惧されるのであり、 よほどしっかりとした国家の視座と外交力を身につけておかなくては大いに困ってしまう時代を招来することは言うまでもないことです。

 法改正は日本の國を「独立国家」とする最も基本的政策の柱であり、前文や九条が既に非現実的であることは誰が考えてもあきらかであり、 そのことが平和や基本的人権の精神を踏みにじることなどいささかもなく、国家のあるべき思考を全てアメリカに委ねてきた戦後的態度をようやく改めることが出来る第一歩でもあるのです。

 挙の争点にならないとして、憲法改正の論議を棚上げにする与野党の政治家たちの視野の狭さと国家的思考の欠如には骨の髄まで「敗戦症候群」に冒されてしまった戦後日本人の気概のなさを象徴してい ると言え、すべからず政治家たちがこぞって国家の未来を語るエネルギーを再生することこそ最も必要な意識の覚醒に他ならないのです。

 竹会・アジアフォーラムの求める「しなやかな竹の精神」とは、そうした気概、心構えの復権を申し上げているのであって、 戦後60年を経てもなお、アメリカの植民地的支配状況と戦後遺制を克服しえない現状を、国民のひとりひとりから相互に研鑽しあって、もう一度独立国民としての思考を取り戻そうと主張するものなのです。






呉竹太郎(平成19年2月11日)


 際情勢のめまぐるしい変化は固定した観念では決して捉えることができないことを、最近のブッシュ共和党の選挙における敗北以降のアメリカの世界戦略的変化が物語っています。

 ラクでの民主主義の押しつけ占領政策は日本をモデルにしながらも、宗教や民族の対立に鈍感になりすぎている現実を露呈してしまいました。

 なくとも日本は大正年間を頂点としてデモクラシーを経験し、長い選挙の実績がありました。

 して、国民統合の象徴としての天皇のご存在によって、国民が見事にまとまっていました。

 の歴史的背景があってこそアメリカの占領政策が成功したと言えます。

 かし、イラクの現実はスンニ派、シーア派、クルド人の三派に別れていることは衆知の事実であり、その対立は根深いものがあります。

 一民族に近い日本とは全く異なった歴史と風土を有している訳であり、他のアラブ諸国を見ても王族による統治が行われており、土台、自由と民主主義の価値観の押しつけには無理がありました。

 近になってアメリカ国民の60%以上が、ブッシュのイラク政策に批判的になっていますが、日本でも久間防衛大臣がそのことを正面から批判したことには驚かされました。

 かし、イラクでの躓きが原因でブッシュ共和党は上下院議員選挙で敗北を喫し、一時的にはイラク派兵を増強しながらも撤退の方向性に舵をとりつつあることは明白であり、その世界戦略の変化はなによりも北朝鮮への意外な「妥協的態度」に象徴されていると言えます。

 本と北朝鮮の「6カ国協議」が現在進行中ですが、ドイツでの米朝協議の末、50万リットルの重油提供を条件に核開発の停止を約束したと報道されています。

 談に臨んで北朝鮮は急に200万リットルに条件を変更して来たために紛糾しているそうですが、アメリカの北朝鮮への寛容な態度はどう考えても解せないものがあります。

 局、北朝鮮が核保有国になったことが戦略的に成功したとしかいいようのない展開ぶりとなっており、一時期はアメリカの攻撃に枕を高くして眠れなかったはずの金正日の安堵の吐息が聞こえてくるような結果になってしまっています。

 のことはイラクやイランなど中東問題に手を焼くアメリカが北朝鮮のことはアジアに任せて、さしあたって核の拡散だけを防止できるならば金正日の体制が続いても、あるいはより強力に中国の影響下におかれてもそれはそれでいいと判断しはじめていると同時に、東アジアの安定化によって韓国からの米軍の撤退も現実的な視野に入れているのではないかと想像されるのです。

 つてあるヨーロッパの思想家が、冷戦構造下でベトナム戦争が激化していた時期に、アメリカは全てのアジアから撤退して、欧米のみが資本主義社会として機能すれば充分であり、アジアが共産化してもいずれそれを維持できなくなって共産主義が崩壊する時が来るまで待てばいいと語っていたことを思い出すのです。

 戦構造的思考から抜け出すことが出来ない多くの日本人にとって、いつまでもアメリカの核の傘に依存しながら、平和は日本国憲法によって守られて来たなどという幻想を抱き続けている人たちが未だにいることに強い失意を禁じ得ないところですが、保守側の人たちも現実を直視しないで、防衛はアメリカ頼みであり続けることが永遠に続くかの錯覚を覚えているようです。

 しろ逆にアメリカの方から日米同盟を破棄してくる可能性などありえないと思いこんでいる想像力の欠如にこそ戦後的思考の呪縛から抜けで得ない限界があるように思えてならないのです。

 年の大統領選挙によってもし民主党の候補が選ばれれば、共和党の日本シフトから、また中国シフトへと変化していくことは明らかであり、日本のアジアでの立場は中国やインドの台頭とともにますます相対的な低下を余儀なくされるのではないかと予測されるのです。

 倍内閣は戦後レジームの打破を課題として「美しい日本」の建設を高らかに掲げていますが、残念ながら精神の価値をかなぐり捨てて経済功利性に魂を奪われてしまった多くの日本人にとって、憲法改正や防衛、外交などに関心を持つものは少なくなって、年金や景気など生活に関わることにばかり関心が寄せられがちになっています。

 れ故に、政治家もまた国際情勢を大上段から論じるものも少なく、アメリカからの「自立」を志向しえない無力感からか、基本的に美しい日本であるための基礎的要件を満たし得ていないと感じるのです。

 泉内閣はむしろテポドンや9.11、イラク攻撃などの国際的な事件が突発することによって緊張感が増すことで、政権の浮揚が図られる幸運な結果となりました。それに比して安倍政権は逆にアメリカの後退が印象づけられる局面に立たされている分、非常にやりにくい状況下にあると言わざるをえません。

 の意味ではもっと鮮明に安倍政権が「保守の主張」をしっかりとすることの方が国民の支持をえられるはずなのに、どうしてか言葉があいまいで、左にウイングを拡げる発言と行動に終始している部分が目立っているのが残念でなりません。

 メリカとの関係をいかにすべきか?ほんとうに第51州的なポチ国家のままでいいのか?アメリカからの自立は不可能なのか?それらのことを真摯に問うことこそ保守の立場だと思うのですが、安倍総理は戦後レジームの打破と主張しながら、一方で自由と民主主義の価値観の共有こそが最も大切であるとことあるたびに強調されています。

 んでカタカナの文言を使う姿勢などを見ていると実はきわめてアメリカ的価値観への信仰の立場に立っておられるのではないかとさえ思えてしまうのです。

 ッシュ共和党の敗北後のアメリカの世界戦略は微妙な変化を遂げつつあることは指摘した通りですが、中東政策の困難さや、近未来に予測される米中対立の可能性など、21世紀の世界は混沌としていると言わなくてはなりません。

 まり全ての国家はここ当分の間は、その国益を原理として外交防衛の戦略を組み立て実践しているのであって、それ以上の何ものでもないという冷厳な現実を見据えなくてはならないということであり、戦後の日本はその現実を直視するあたりまえの姿勢を放棄してきたということなのです。

 本に自立外交は可能か?戦後レジームの打破とはそこのところを問いかけることなくてはあり得ないことだと言えます。その為にもアメリカの世界戦略を読み解き、日本の生き残りのための道筋をしっかりと模索して行かなくてはならないのであり、その力量が今日の政治や官僚の世界にあるのかどうか、あるいはこれから育ちうるのかどうかが根本問題になるのだと思います。

 英同盟がそうであったように、日米同盟だけが永遠であると考えるほうが現実的ではなく、21世紀のはるか後半にはあるいはアジア共同体が現実化しているかもしれません。

 ずれにしろ求められているのは日本もタフネスに世界と向き合えるしたたかさであり、呉竹会・アジアフォーラムが基軸とする「しなやかな竹の精神」の復権なのです。

 れは明治国家がなし得たダイナミックなリアリズムを現代日本人が取り戻すことであり、日本人の兼ね備えた能力を信じ、国家的思考を可能として、未来の日本に「主体性」を確立することに他ならないと言えます。






呉竹太郎(平成19年1月8日)


 原の瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙ぞあがする 事幸く 真幸く 坐せと 恙なく 幸く坐せば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 言挙すわれ 言挙すわれ

 「わが日本のくには神のくにであり、ことあげせぬくにです。しかしながらことあげします。しあわせで、しあわせでいるようにと。つつがなく、しあわせでお過ごしならば、またあいたいですね。 百の波、千の波が何度も寄せては返すように、私はことあげをします。ことあげをします」

 しい歌ですね。万葉集にある柿本人麻呂の歌ですが、私はこの素朴な「万葉の心」に接するたびに、日本人に生まれて良かったなぁと実感します。

 かし、それと同時に自分が日本人としてどれほど文化を体して、自信をもって日本人なんだと言えるかと思うと、いかにも心もとなくなってしまうのが正直なところです。

 年は学校の履修問題が大きな話題になり、必修の世界史を受験に必要ないものと故意に飛ばしてしまっていた学校が全国に多数あったということでしたが、 その報道を耳にして、日本史が選択で世界史が必修であることそれ自体に、大いに疑問に思いました。ああ今も、 日本人はインターナショナルな知識を身につけることが大切だと教育界の一部の人が信仰していて、その結果続けられて来た教育によって、いくらも国際人になれない変な教育をして来ているんだなと。

 しいことですが、私たちの時代の教育は日本の伝統、文化、歴史を意図的に遠ざけるような内容の勉強しかしてこなかったように記憶しています。 天皇制は封建制度の残滓のようなイメージで語られ、武士道は野蛮であり、日本は民主主義国家としては下等な段階にあると教えられ来ました。つまり野蛮な日本史よりも世界史を、 世界の知識を身につけなくてはならないんだと。

 しく言えば、丸山真男に象徴される近代主義の普遍信仰のようなものが戦後日本人の心に根強く生きているということであり、 そのことが愛国心をすら明記できない教育基本法を成立させる日本の政治にも反映されているということなのです。

 肉なことに、私に日本史をふり返る楽しみを教えてくれたのは司馬遼太郎の「龍馬が行く」であり、NHKの大河ドラマを見てからでした。その為にか、 私は今でも自信をもって日本人としての深い教養を身につけているのかと問い返すと、実は日本のことをまだまだ何も知らないと強い限界を感じるのが率直なところです。

 のごころついた時にいろいろなことを学ばしてくれるのは社会であり学校です。そこが無機質でうすっぺらな人間教育ばかりで、日本についての教育は何もなく、神話は遠ざけられ、 近現代史を正しく見る目も育てられなかったことが今になって悔しくてなりません。

 に都会の家には神棚も仏壇もないところが多く、祭りも観光化されて地域社会は崩壊しつつあります。ですから既に生活の中から日本を学ぶ機会も少なくなっており、 かといって欧米のようなキリスト教国家に変わっていこうとしているのでもなく、日本がただ「ニッポン」になったようなニュートラルな社会を戦後社会はひたすら目指して来たような気がしてならないのです。

 れでもお正月ともなると、おおつごもりの除夜の鐘を聞いて、鎮守の森に初詣に出かけることや、天皇家がお健やかに年明けをお迎えになられ、国民に語りかけられるお姿を拝することや、 いくらか日本と出会うことができるので、幾分心穏やかな気持ちになることができるのは私だけでしょうか。

 倍総理が「美しい国」日本と称されるのですから、「美しい日本」を真に取り戻す、「日本回帰の元年」にしていただきたいと明治神宮に祈願してまいりました。

 の為にもまずは、教育の現場において世界史が必修ではなく、日本史を必修にして、日本人が最低の日本人としての素養を身につけることが出来るように、 世界史を選択とすべきだと私は強く思います。

 の極東の島国に一万年以上の縄文時代を経て、二千年の日本文明を育んできたことの歴史的重みを次世代にしっかりと繋いでいくことができるようにしなくては、 教育の意味がないのではないでしょうか。

 ショナルなものをくぐり抜けてこそインターナショナルに至る訳で、コスモポリタンなあり方ほど浅薄なものはありません。

 が少年の頃のお正月は、歳の神を迎えるために暮れの大掃除からお節料理の準備で大忙しで、 いっちょらいの服を着せられて威儀を正して元旦を過ごしたことが懐かしく思い出されます。初詣ではかなりの人が着物を着ていましたし、 日本髪を結う人たちが多くて美容院が大忙しだったことも今は昔の風景になってしまいました。

 ンビニが出来ていつでも食料が確保出来るし、二日からデパートも開店する時代ですから、「便利さ」が「風情」を全て駆逐してしまいました。 誰もが1年が早く過ぎると実感し、慌ただしく時に追いかけられるように生きているのではないでしょうか?

 族の時間が限りなく薄れていく、それは単なる郷愁に過ぎないと見過ごすことのできることなのだろうかと年ごとに思いを深くするところです。

 らためて今年は「日本人とは何か、その生き方とは」あらためて呉竹会の勉強会を通じても求めていきたいと思います。

 城島(しきしま)の 日本(やまと)の国に 人(ひと) 多(さは)に満ちてあれども 藤波の 思ひ纏(まつ)はり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を

 の日本の国に 人はたくさん満ちているけれど 藤のつるのように 思いがまつわりつき 若草を思うように君のことが 恋しくて逢いたくてたまらいない気持ちで 長いこの夜を明かしてしまうのでしょうか。

 者不詳の歌ですが、若い頃から好きな歌でした。

 して、もう一首。やはり日本武尊(やまとたける)の歌を…。

 和は 國のまほろば 畳なづく 青垣山 籠もれる大和 うるはし






呉竹太郎(平成18年12月25日)


 年も前になりますが、来日したアメリカの上院議員に「民主主義 のコストとは言え、選挙運動は本当に大変ですね」と問いかける機会 がありました。 そうすると「その緊張感がなくてはパブリックサーバ ントとして真摯な姿勢を保ち得ないのが人間の現実です」と笑顔で答 えられ、 「はじめてのチャレンジの時に出馬を決意してから2000 人余りのボランティアの皆様の申し出があって、多くの人々に支えられて活動できたことの喜びもまたひとしおですよ」 と選挙の楽しさ を語られたのには、憧憬とともに心から驚きを禁じ得なかったことを 思い出します。

  本では全くと言ってよいほど考えられないことです。個人献金に 応じ、ボランティアに参加してくださる市民の圧倒的な数と質の違い には、 根本的な「政治風土」の差を心から痛感せざるを得ませんでした。学生時代にゼミの教授が「選挙においては、キリスト教社会の持 つよき一面が表れている」 と語っていたことを今でも記憶しています が、今日になって確かに悔しいけれど上院議員を支えている政治的環境を耳にする限り、政治への意識と参加度の高さだけは、 さすがに欧 米先進国なのだなと脱帽せざるを得ない思いになるところです。

  「戦後レジームの打破」のかけ声のもとにスタートした安倍政権は 現時点では小泉前総理の存在感の大きさに比べて「大人しい」印象を ぬぐえず、全てにおいて歯切れの悪い「あいまいさ」が大幅に支持率を下げる結果となってしまいました。

  今日のところ、官邸の強化のために設置した内閣補佐官制度も、調整 役の官房長官の評価も決して芳しくないようで、 道路財源の一般会計 化では自民党の反撃に押し切られた形となり、復党問題でもなにやらすっきりしない結果となり、「官邸の指導力」が強く問われています。 とはいえ、対する民主党が驚くほどに拙劣な議会対応しかできない ことによって随分と助けられ、懸案の改正教育基本法と防衛省への昇格法案が通り、 憲法改正への国民投票法案は継続審議となって第16 5臨時国会が閉会したのでした。

  期中は、国会と議員会館の間に動員された日教組や各種団体の人々が座り込みをし、数億をかけてひとりよがりの反対行動を続けてい ましたが、 かつての安保闘争のような国会を包囲するほどのデモ隊を 組織する力もなく、なんとも無力なパフォーマンスに空虚さを感じるばかりでしたが、 そんなエネルギーがあるならばいじめや不登校の子 供たちの為に真摯になってその情熱を注いで欲しいものだと思いつつ、 いつもその前を通り過ぎていました。

  れにしても、民主党はもっと国民に向かって明確に、自民党との 対立軸をはっきりとさせ「この国のかたち」を訴えなくては、 先頃の 和歌山知事選のように選択肢を提起しえないままに埋没してしまうのではないかと、二大政党政治や民主主義にとっての切実な危機感を覚 えない訳にはまいりません。

  ろいろな人たちと話をしていますと、今でも小沢一郎氏への期待感は意外に大きいものがあり、 来年の参議院選挙はその意味で日本の 政治にとっての「関ヶ原」であり、大げさな表現ですが、日本の民主 主義にとっても「結節点」であるようにさえ認識をしているのですが、 そうは言っても、個々の議員たちからはそうした緊迫感も迫力も感じ られないのが政治的今日状況での私の率直な実感なのです。

  局は、ほとんどの国会議員が国家百年の大計に生きているのでは なく、ただ自己本位に「職業としての政治」に就職をしているだけに 過ぎないのだとの印象をますます深めるばかりですが、 「人間力」の 著しい劣化も伴って与野党ともに政治を魅力ないものにしてしまっているように思えます。 とはいえ国民の側も率直に申し上げれば、政治に関与してくる方の 多くは自己主張のたいそう強い人が多く、口は出すが、金も労力も出さない人が圧倒的で、 ボランティアスタッフなどはそう簡単に集まっ てくるものではありません。

  うも、政治の周辺にいる決して少なく ない人々の意識の奥底には利害と打算が大なり小なり存在しているようで、 愛国心や奉仕の精神をピュアに持っている人などは希に見るほ どだと言わなくてはなりません。

  つも政治家ばかりが様々に指弾されていますが、有権者側の意識変革もまたもっと論議されてしかるべきだと私はいつも思っています。

  えば、いじめ問題で見られる昨今の教育者の責任のがれを見れば、戦後日本人の一般的な心象風景が象徴されていると言わざるを得ず、 そうした日本人のエゴイズム的傾向を見るにつけ「心にゆとりがない」 日本社会になってしまって来ているとつくづく実感するばかりです。

  かし、良く指摘はされますが各種「新興宗教」の隆盛ぶりを見ていると、必ずしも日本人はケチだから個人献金をしないとか、 奉仕の 精神を持ちあわせていないと決めつけるのも早計過ぎるという気持ち になります。

  こには直裁的に「人生を良くしたい」という切実な現世利益的精 神が横溢していることは言うまでもありませんが、 政治もまた本質的 により良き人生の為の環境づくり、社会づくりを使命としているならば、そこに繋がる青写真をきちっとしめすことが出来れば、 国民の政 治意識がここまで低迷はしないのではないかとも思うのです。

  治家のレベルは、その国の国民のレベルを表しており、なかなか それ以上の政治家が出現しにくいなどと言われていますが、政治の現 状と国民意識を見る限り当たっているように思えることが寂しい限り です。そう考えると、 本質的に日本人が「戦後精神」によって培って来たことは、多分に利己主義的傾向ばかりだったようで、 公的精神に 燃えて社会貢献に命を賭けていると評価できる政治家をあまり見いだすことはできないようです。

  れだけに、逆に個人献金もボランティア精神が醸成されないとも言えるのではないでしょうか。 意外に忘れられていますが、大正時代にも日本は70年間にわたっ て「小選挙区制度」を経験してデモクラシーを学んで来たのですが、 昭和になってからは国民の政治への失意が軍部の台頭を許し、政治は「大政翼賛会化」することで民主主義は死滅しました。

  すから、日本は敗戦後にのみ民主主義を学んで来たのでは決してなく、その以前の自由民権運動などの歴史的蓄積があったからこそ、 日本国憲法をはじめ占領諸政策を受容することが出来たのでした。

  かし、今日の政治的状況を見ているとまるでそうした歴史的経験の「教訓化」がまるで出来ていない、 つまり学習効果が全くないのではないかと思わせる諸現象が続いている訳で、いったい何をやってい るのだろうかとの思いに憂憤を禁じ得ないところです。

  「戦後レジームの打破」で最も肝要なことは、政治家がパブリック サーバントとしての意識に立ち戻り、 私にのみ生きる国民が「公」の 精神を取り戻すことだと私は思っています。それは愛国心や尊皇の歴史も含めて真正面から日本と向き合うことであり、 呉竹会・アジアフ ォーラムはその研鑽の為に設立した勉強会でした。

  本における民主主義とは何か。それは参加型の欧米流民主主義を憧憬し続けることでは建設的な解答など得ることは出来ないでしょう。 また、社会システムも同じであり、日本は日本人の歴史と文化に相応 した新しい日本型社会を構想して行かなくてはならないのであり、 その為には自民党は既に旧来型であり、民主党は市民主義を標榜する限 りにおいて観念的過ぎるのです。

  後62年目を迎えようとする今日、日本はあといくらかの時間を醸成させながら、そうした文明史的課題にぶつかって行かなくてはな らないのであり、 かかる歴史的段階に在ることを認識しながら、来年 も歴史からの教訓を導き出し「戦後とは何か」、日本の未来とはいかにあるべきかを真摯に問い続けて行かなくてはならないと思います。

  の為には、戦後の全てをマイナスとする評価の態度も、戦前の全 てを暗黒とする戦後的思惟もまた、ともに正しい取り組みの姿勢とは 言えないと言わなくてはなりません。

  000年以上の長きにわたって受容して来た「和魂漢才」の時代 に比べれば、明治維新以降の「和魂洋才」の時代はたかだか130年位なのです。 充分に咀嚼出来ていると考えることは基本的に誤ってお り、良い意味で「国風化」が求められている時代であると私は認識するのですが、しかし最も恐れなくてはならないのが、 和魂を喪失していつの間にか「無魂洋才」の時代を迎えつつあるのではないかという ことへの危機感であり、小泉内閣時に盛んになった女系天皇論をはじ め、 新自由主義的な市場万能政策による改革の方向性など、あまりにも「文明論」を欠いた効率主義、機能主義の徹底によって「日本の品 格」がますます壊されて行っているのではないかとの安危の思いにかられるところです。

  明論的視座に支えられた日本の民主主義のあり方を真摯に問うべ き時代にあることに思いをいたしつつ、今年を完結させ、そして新し き年を迎えたいと存じます。 来年も呉竹会・アジアフォーラムを宜しくお願い申し上げますとともに、あなた様にとって大吉の一年である ことを祈念しつつ、本年最後の呉竹の視座を送らせていただきます。






呉竹太郎(平成18年12月13日)


 はフィリピンのマニラにビジネスで来ていますが、相変わらず この国は「混沌と喧噪」というイメージから抜けきれないようです。
 空港や観光地、ほとんど全ての街角を歩いていると日本人とみる や手を差し出し「メリークリスマス」とお金のプレゼントを求める 子供たちがまとわりついてくることを経験します。
 屈託のない子供たちの哀願についついほだされて小銭をあげると それを知った他の子供たちや大人にも取り囲まれて身動きがとれな くなり、そんな時にスリにあうことが多いのだそうです。
 「Hindi(いいえ)」と友人が断ってくれるのですが、直ぐにまた 千手観音のように手が出て来ます。しかも先ほどあげた子供たちも また同じように手を出してくるのです。
 「ほとんどが、親がその辺にいてやらしているのですよ」東南ア ジアの他の国では、これほどでもなかっただけにひさしぶりに貧困 の凄まじさを痛感させられました。
 
 ィリピンはかつてスペイン、アメリカの植民地支配の経験から 「キリスト教」の国となり、国民の多くがクリスチャンなのです。
 ですから歴史的建造物も荘厳な教会が多いことに気づきます。 なんと友人によると、世界で一番クリスマスを祝う期間の長い国 だそうで、10月くらいから、1月になってさえも「メリークリス マス」と祝福の言葉をかけあっているようです。
 最近はテロが多発していて、イスラム教徒が増えているとも聞き ましたが、ほとんどの店は何処でもガードマンが立っていて、厳し くチェックされます。
 そんなキリスト教の国でありながら、「貧困と小さな嘘」は必需品 の国であり、はじめて来た日本人の多くは物乞いの人たちのひつこ さとタクシーのいいかげんさとに、まずは「なんて国なんだ」とや るせない憤りを感じるものなのだそうです。
 しかし、そこに長くいる日本人の多くは、そのことを平気でフィ リピンを楽しむことができるかどうかの「授業料」だと言って、何 度か騙されることは当然のことだと笑い、「フィリピンへのチップだ」 と嘯くのです。
 そして、こうした日本人的なルールの欠如を割り切ることが出来る ようになると、こんなに素晴らしい国はないのだと、その魅力を語る のです。

 かに、そう言われると今日を生きることに精一杯の人々の生活 力の逞しさと強さを感じ、シャイで気持ちの優しい日本人はただ良 いカモとしか見えないことに得心してしまいます。
 「戦後の日本人は平和呆けで日本にいるとセキュリティーの感覚が なくなるけれど、その幸せな環境をあたりまえだと思っている」 「北朝鮮がミサイルを発射した時などは在比日本人たちが騒然とし て、いろいろな集まりでしっかりしろよとみんなで叫んでいました よ」とマニラ在住20年の友人が力説していました。
 「ホールドアップはあたりまえで、ジプニーと呼ばれる基本的には 15円で市内を走る庶民の為の小さな乗り合いバスが所狭しと走っ ていますが、かつあげは日常的なので乗らないように」 「トラブルは絶対に避けたほうがいい。気にくわないとか、邪魔く さいと思うと、話し合いではなく簡単に殺してしまう国ですから」 と、いとも簡単にそう言うのです。
 「まだまだ戸籍や住民票で掌握できない人がたくさんいるから警察 もお手上げなんです。日本で犯罪をして逃げて来ている人には格好 の隠れ家ですよ」 「キリスト教がこれほど日常的に浸透している国なのに、平気で嘘 をつくことが出来る精神の平衡感覚は何処にあるのだろうなどと、 ゆめゆめ思っちゃだめですよ。ありのままの矛盾を受け入れて楽し むこと。そうすればここは楽園です」
 現地の日本人の世界では相当知られているというカラオケ屋のオ ーナーの友人が、「最高です。日本の規制社会では考えられない無 秩序と自由。とけ込めて住むことのできる日本人には地上の天国で すよ」と言い切ったのには感心しました。
 ちょうどこの一文を書いている時に、タクシーに乗っていた日本 人が殺されたニュースが飛び込んで来ました。注意を受けた日に… とそれでも楽しい国だと称する友人たちのしたたかさのほうに私は 舌をまかない訳にはいきませんでした。
 
 んなフィリピンで日本人のビジネスマンがたくさん移住してい る中、アジアの何処の国でもあたりまえの姿なのだそうですが、華 僑の経済支配は言うまでもなく、近年とみに中国政府のODAや韓国 企業の進出ぶりが目立っていて、かつての日本の「存在感」が急速 に薄れて行っているのではないかとの指摘を、何人も人から聞かさ れたことが随分気になりました。
 中国人や韓国人の住むところでは、たちまち中国人街や韓国人街 が出来てしまうのだそうですが、どうも日本人社会は団結して助け あうということが少なくなっているようで、日本人街らしきものは 出来ないとのことでした。
 しかも、日本人の多くがフィリピンのビジネス話にのって騙され ているのも、実はフィリピンの人たちにではなく、「多くは現地に 住んでいる日本人の口車にのせられているのだ」とも言っていまし たが、アジアの中の「親日ネットワーク」づくりを一つの目標にし ている呉竹会の一員としては、その指摘は聞きずてならないもので した。

 はこれまでだいたいのアジアの国はほとんど訪ねて来ましたが、 いつもアジア的社会のエネルギーに楽天的な未来を感じさせられる とともに、実は日本がどんどん「蚊帳の外」になっているのではな いかという危惧感を覚えて来たのが正直な実感でした。
 基本的には親日的で日本への憧憬を持ってくれている人々が、ア ジア全体でまだまだたくさん居るのですから、ODAのあり方も含め て日本の対アジア政策をしっかりと考え直して欲しいと心から思う ところです。

 て、今回はマニラから一時間半ほど車で走ったところに「クラ ーク」と呼ばれる旧米軍基地の広大な地域があるのですが、そこが 返還されて「経済特区」となり、工場や住宅地ゴルフ場、リゾート 地などの総合的な開発が進められているのを知って視察に行く機会 がありました。
 その近くの街では米軍の退役軍人たちが数万人という単位で、そ のまま居着いて、フィリピン女性とともに年金で老後の生活をエン ジョイしている?と聞いて驚かされたのですが、確かにラフなスタ イルの白人の叔父さんたちが若いフィリピンの女の子と手を繋いで 歩いている姿をたくさん見かけました。
 そこの一角に日本の「神風特別攻撃隊」がはじめて飛行場を飛び 立ったという記念碑がひっそりとあることを教えてもらったので、 訪ねてみたのです。
 緑に覆われた米軍の元格納庫が並んでいるところを抜けていくと、 「カミカゼストーリー」と呼ばれるところがあって、フィリピンの 親日家が設置してくれたという記念碑と往事を忍ばせる防空壕があ りました。
 私は61年前に日本人がここで戦っていたのかと思うと、なんと も言えない「歴史の不条理」の感慨に襲われ、あらためて大東亜戦 争とは何だったのかと考えさせられながら、暫く立ち竦んでしまい ました。
 青空を見上げて、「こんな静かな空に零戦が飛んでいたのか」と呟 くと、フィリピンの友人が、「かつての日本人は素晴らしく勇敢だっ たという印象がある。しかし最近の日本人は尊敬できない人が多い。 中国や韓国に負けないで日本は頑張って欲しい」と片言の日本語で 語られたことを、何故か日本の将兵の霊魂が憑依して無念の意志を 伝えようとしているように聞こえたものでした。
 現在の私にはいかんともしがたい無力感を覚えるだけでしたが、 せめてもそのことを呉竹の視座として伝えようと思い立ち、ホテル に戻って早速パソコンに向かったのでした。

 層マンションの上にクレーンがそのままのっていて、工事が一 年半も中止している姿が象徴的なフィリピンの混沌とした現実の中 で、来年の地方と国会の選挙のためにはどうしても資金が必要だか ら日本から支援の方法はないのかと生々しく語る友人たちとミーテ ィングを重ねていると、風化する歴史の彼方に尊い殉難者たちの行 為が流れるようにかき消されて行く「無常観」と、そうした日本的 な「もののあわれ」などを全く寄せ付けることのない「妙な明るさ」 を深奥に感じる一日でした。
 「フィリピンはアメリカですよ」と大統領がアメリカを向いてい ることをフィリピンの友人が強調すると、「日本だってそうだよ。ほ とんどアメリカの第五十一州なんだから…」と日本から一緒に来た 友人がすかさず返したのを聞いて、なんともその言葉を受けて沈黙 以外の反応をすることができませんでした。
 そのあと、マラカニアン宮殿や、その昔ここまで追放された高山 右近の銅像を見に行ったり、アジア最大とも思えるスラム街を見学 したりしましたが、すさまじいゴミの山と腐臭、そしてそこにたむ ろする無数の人々の群れをカメラに納めながら、日本の格差論との 位相の違いを痛感させられ、政治の恐ろしさを認識させられること となりました。
 少なくとも、EUのようなアジア共同体などは相当の時間、幻で しかないことを確信しました。こうした現実に日本が環境ODAと してもっと角度の違う貢献ができないものなのかとも思いましたが、 その意味で高度にサービス社会を構築して来た日本の姿がもっと評 価されてしかるべきなのではないかと、常に不足を嘆いているばか りの思考に慣れきった私の頭脳に文化的なショックを与えるのに充 分な旅となったことを、呉竹太郎の視座としてお送りしたいと存じ ます。
 フィリピンの英雄はホセ・リガルドという人物ですが、記念館に 行って親近感を覚えたのは、氏のセカンドワイフが「おせい」とい う日本女性だったそうで、凛とした表情の着物姿で描かれた彼女の 絵があるのですが、スペインの植民地支配と戦った時代にはるか遠 いこの地で、英雄の妻としてその活躍を支えた日本人女性がいたの だということを知っただけでも、何故かそれまで感じていたフィリ ピンとの距離が縮まったことも最後に付け加えておきます。






呉竹太郎(平成18年11月13日)


 「拉致問題」では常に毅然とした姿勢を貫いて来た安倍晋三氏が小泉氏の後 継として内閣総理大臣に就任されたことは、これまでの「憲法改正」や「靖国 神社」への発言などから見て、「新保守主義的」政権が形成されたものと認識し、 そのことが70%近くの国民の支持を得たことなどを嬉しく思い、概ね好感を持 って見つめて来ました。
 その組閣や内閣補佐官制度での人事の配置を見ても、論功行賞を明確にした 実務型の安定した内閣の一面を持ちながらも、安倍氏と価値観を共有するスタ ッフを起用しての新しい政権運営に、新ナショナリズム内閣としての明確なメ ッセージを読み取ることができるのです。
 少なくとも小泉氏の女系天皇に道を開こうとした皇室への認識の誤りや、ブ ッシュの前でプレスリーの真似をして見せた親米追従一辺倒の姿勢の「軽さ」 には、一国の総理としていかがなものかと首肯しがたいものを感じていただけ に、「美しい日本」を語る安倍総理の歴史への態度の謙虚さに安堵するものを見 ているのは私だけではないと思います。

 かしながら、その後の所信表明、代表質問、予算委員会、そして党首討論 などの安倍氏の総理としての発言を聞いていると、アジア外交への配慮や、政 権運営の立場上やむおえないものがあることを承知してはいるものの、ただいたずらに「あいまいさ」にのみ終始していることが「弱さ」に映ってしまって、 いくらか失意を覚えているのも正直なところです。
 何故なら、憲法改正だけは正面から掲げる姿勢を崩してはいないものの、歴 史認識や核の問題も含めて、野党の質疑に対しての答弁の歯切れの悪さは実に 意外であり、国民への真摯な説明責任を小泉氏と同様に回避していると思わざ るを得ないからです。
 安倍氏でさえ、総理になる以前と総理になってからはこんなにも言葉遣いが 変化するものなのでしょうか? 世間はそれをやむおえないものと受け止めてい るようですが、総理になってこそ国民に向かって「保守の哲学」を大いに宣揚 することで、国民を啓発し意識向上を図ることができる訳ですし、それが指導 者の根本的態度だと思うのです。
 憲法改正の必要性や、自虐的歴史認識を正すこと、国家や伝統、文化の大切 さなどを大いに正面から国民に向かって語りかけてくれることを強く願うとこ ろです。

 た、初心表明での横文字の多さや、答弁での官僚の書いた作文に頼りがち な態度は、日本の政治そのものをいつまでも質の低いものにするばかりであり、 質疑に対して的確に答えずに常に論点を逸らして答弁することを生業とするよ うでは、いずれ安倍氏の清新さを薄れさせて行くことに繋がると思います。 こんなことでは広報担当の内閣補佐官をわざわざ配置した意味をなさないのではないでしょうか。
 安倍氏のこれまでの総理との違いは、あくまで「憲法改正」を正面から掲げ た新ナショナリズム政権であることであり、その部分をぼかすことで、経済や 福祉の安倍になってしまうことでは日本の危局に立つ気概のある内閣とは決し て言えません。
 それでも、今国会で防衛庁の「防衛省」への昇格をはじめ、教育基本法の改 正や憲法改正のための国民投票法の実現などに取り組んでいることは、評価で きる試みですので、「爪を隠した鷹」などと称されないで、堂々と「タカ派政権」 であって欲しいさえ望むものです。

 倍政権が成立したことなどを捉えて、昨今の日本が著しく「右傾化」して いるとマスコミや文化人たちが指摘し、「ブチナショナリズム」化との言葉を良 く耳にするようになりましたが、それは単に国際社会ではあたりまえの座標軸 のところにまで戻ろうとしているだけの作用であって、右傾化などと言えるほ どの現象ではありません。 
 もし日本の現在を右傾化などと言うならば、世界中の国家は全て「右翼政権」 だと断言せざるをえなくなることでしょう。近隣の国が核実験を行い、国連の 制裁決議が成立したのですから、そのことへの具体的な対策を論議し対応する ことは自然な態度ですし、核放棄をしたとの情報がない以上、この機会に核の 論議をすることもこれまた実にあたりまえの行為だと私は思います。
 中国の仲裁によって六カ国協議の再開が具体化するようになりましたが、北 朝鮮からは「アメリカの第五十一州の日本は参加しなくていい」などと侮辱的 な発言をされ、ましてブッシュ共和党が中間選挙で敗北した今日、ますます核 の論議が出てこないこと自体が不思議な国だと言わざるをえません。
 「核の論議は必要だ」と与党幹部や政府高官が語ったことに対しての、野党 やマスコミの反応はまだまだ戦後遺制に呪縛されたそれでしかなく、核の論議 を封じ込めることによって、国際社会の現実への「日本的思い込み」の世界に 閉じこもろうとするのは、かつての非武装中立論と同じレベルの観念でしかな いと思います。

 はかねてより核の国民的論議が必要であり、日本の国内に一定の核武装勢 力が台頭し、いつでもその準備が可能な日本がついに核保有に踏み切る日が来 るのではないかと世界にイメージを発信する ことのほうが、むしろ国益にかなっているのではないかと考えて来ました。
 日本の選択として常にその可能性もまた検討対象であることは言うまでもな く、民主党などは外務大臣の罷免決議を提出する陳腐な態度にでるのではなく、 堂々と国民の前で核武装の非を論じればいいのであって、それこそが開かれた 民主主義国家だと思います。
 およそ国民の9割が反対で、核武装を是とする世論は1割に満たないのです から、唯一の被爆国家としての核アレルギーは日本人のDNAに深く浸透してい ると思えるくらいです。
 いずれにしても安倍政権はそうした「戦後レジーム」の虚妄を正そうとする 政権なのですから、国民に向かって「美しい日本」とはいかなる国家なのかを おおいに論じる政権であって欲しいと心から願ってやまないところです。





     
呉竹太郎(平成18年10月9日)


 「プチ・ナショナリズムの時代」だと最近良く耳にします。
 サッカーや野球の国際大会で既に違和感なく日章旗を片手に応援する若者の姿が日常的になり、小林よしのり氏の漫画が広く支持されて読まれ、「偏向」教科書の見直しや、「正論」「諸君」「サピオ」と言った保守系雑誌が結構読まれていることなどの社会現象を捉えて指摘される時に使用されます。
 まして、「憲法改正」を正面から掲げる安倍政権がスタートし、臨時国会での代表質問や予算委員会でのやり取りの中に、「開かれた保守主義」や「ナショナリズム」についての質疑がなされているのもきわめて特徴的であり、マスコミに登場する評論家たちの多くは、日本の「右傾化現象」としてその危険性をまことしやかに論じたりしています。
 確かに1990年代後半から、プチ・ナショナリズムと称する現象が噴き出てきていることは明白であり、それは戦後民主主義の感覚では認識出来難い、北朝鮮の存在と拉致問題が大きなきっかけになっていることもよく指摘されるところです。
 その意味で、8月15日に小泉前首相が、総理として最後の靖国参拝を行われたことに対して半数以上の国民が支持したことが、戦後60年間にいつの間にかニュートラルで無機質になりつつあった日本人の意識構造に本質的な変化が生じつつあることの象徴として見てとることができるような気がしています。

 して、北朝鮮の核実験による軍事的脅威が明確になると、より日本人の心に戦後喪失して来た愛国心がふつふつと蘇えってくるようです。
 しかし、この数十年の間、ずっと愛国心とナショナリズムの復権を訴えて来た私のようなポジションの人間にとって、当然歓迎すべき空気の変化と思っているのですが、一方ではプチ・ナショナリズムは何処までも「プチ現象」であって、自覚化された真のナショナリズムが市民権を得つつあることとは違っているのだとの思いを同時に抱いてしまうのです。
 先ごろの国歌斉唱を拒絶した教師への処分を巡った裁判に、東京都が敗訴したことや、安倍内閣では最重点で取り組みたいと表明する「教育基本法」の改正案に、肝心の「愛国心」という言葉が、自民党案からも民主党案からも削られてしまっているという現象を見る限り、まだまだ「戦後的思惟の呪縛」から自由ではないことを痛感するのです。
 つまり、プチ・ナショナリズムの現象は、何処までも「戦後遺制」を引きずってのそれであり、真のナショナリズムの復権ではないということであり、情緒的な意識変化はむしろ危険なショービニズムに繋がりがちで危険ですらあるとも思えます。

 朝鮮の問題が表面化したので「核保有」についても論議しなくてはならないという風潮は、その意味でもいささか情緒的な反応だと言わざるをえません。
 所詮はアメリカの核の傘に居ながら、日本国憲法の第九条によって平和が保たれ来たといっている「マスターベーション」と同レベルであり、まずは「自分の国は自分で守る」というあたりまえの意識に立ち返って、アメリカとの関係を清算する覚悟を決めてでも推し進めるということであれば、核武装は現実的な論議の対象となりうると思いますが、やる気がないのに論議をしても意味がないのではありませんか。
 教育基本法の改正や憲法改正がきちっとできない国に何が核武装だと言いたいところです。
 但し、中国や韓国からの反日攻撃に対して、日本をいじめすぎるとそのうちにウルトラナショナリズムを目覚めさすことになるよとシグナルを発信する意味においての核保有の研究は外交的に有効だと思います。
 やはり、プチ・ナショナリズムではなく真のナショナリズムの復権が強く求められるところで、ナショナリズムを潜り抜けてこそインターナショナルな立場に立ちうることを再認識して、世界と国家の現実に向かい合わなくてはならないのではないでしょうか。






呉竹太郎  (平成18年9月22日)


 原彰晃の死刑がようやく確定しました。サリン事件などの被害者から見れば遅すぎた結論であり、彼が「自我」を喪失しているのかどうかなど全くどうでもいいことだと思っていただけに、裁判制度のまどろっこしさには「人権」を守るためとはいえ、いつもながらに「矛盾」を痛感します。
 かといって、国家が死刑によって人命を奪うことの「権力」を悪用する可能性は常にありうる訳で、その乱用を制御するために、民主主義社会の手続きは残念ながらまどろっこしい時間が不可欠となります。
 いわば、「哲人国家」の存在が「幻想」でしかないことを、左右の全体主義社会の実験によって知ってしまった現代の「限界」としかいいようがありません。
 とはいえ浅原彰晃の「人権」とは何なのか? 死刑廃止論者はこの事態でも浅原彰晃を殺してはならないと主張するのでしょうか?? 単純な私にはその「演技」にふりまわされて来た司法制度そのものにいつも強い疑問を感じるのが率直なところです。

 スコミは一斉に死刑確定を報道し、ワイドショーは浅原彰晃のプロフィールを様々に紹介し、またぞろ評論家なるものが出てきて、まことしやかにコメントなるものを加えていますが、実のところ浅薄なオウム真理教批判にうんざりさせられるばかりです。
 マスコミが浅原彰晃をいくら「狂気」として罵倒してみせても「事の本質」は何も変わらないということにもっと視点を向けるべきだと私は思います。
 つまり、何故オウム真理教が「狂気」に走ったのか、そして、今なお数千名の信者が活動を行い続けているという事実の「病理現象」そのものをきちっと捉え、多くの若者がこの程度の教団の教えに何故惹かれ、擬似出家までして人生を簡単に捨ててしまうことが出来るのかということにもっと分析を加えるべきだと思うのです。
 つまり、オウム真理教に走る若者たちを、自分たち(一般社会)とは関係のない異常な人間たちの集まりだとかたづけてしまう態度そのものが実は問題なのであって、彼らはかえって良心を人一倍持ち、偏差値の高い、不器用な若者たちが多く、社会の側でこそ彼らを引き留めておくことの出来なかった現実をもっと問題にすべきなのです。

 もそも今日の日本社会では「引篭もり」が100万人とも言われ、フリーター、ニート、パラサイトと、「日常性の構築」が出来難い若者が大量生産されているのはご承知の通りです。
 一般的な生活が「退屈」にしか映らず、生きていることそのものに確かな現実感を確認することが出来ない、まるで太宰治の「人間失格」の世界が、かつては知識人特有の精神的病理現象であったにもかかわらず、今では豊かな時代を背景に誰でもがその程度の苦悶に陥る機会に満ちているということなのです。
 むろん、かつての知識人ほど「苦悩し続ける」忍耐力や思考力が備わっている訳ではないので、超越や絶望といった重い世界に呻吟するところまで行かずに、容易にオウム真理教のような新興オカルト宗教に入信してしまう若者があとをたたないのです。

 代文明は科学の未曾有の発達によって、唯物論的な思考がかなり一般化し「価値の相対主義化」が進みました。そのことによって道徳や人間観が「自由」の下にそれぞれの選択に委ねられ、個人の「アトム化」は行き着くところまで進んでいきました。その結果、人間の紐帯は極端に失われ、かつての世代は自信を喪失して教育の責任を放棄してしまって来たとも言っていいでしょう。
 ですから文化や歴史、伝統などの知恵とは寸断された若者が多く生産され、無機質で、ニュートラルで、マスコミの情報に踊らされながら刹那的に生きていく世代がどんどん生み出されて行ったのです。
 しかも戦後日本は非宗教化が著しく進み、道徳的な再生を生み出す精神的な基盤を解体させ、女子高生に「援助交際が何故いけないのか」と問われても、青年に「人を殺したらどうしてダメなのか」と答えを求められても、倫理的な正義をきちっと主張する強い力を融解させて来てしまったように思えます。
 そうした「心棒」のない社会だからこそ、無数の新興宗教団体が、希望や再生の原理を提起し、弱い心を補う役割を果たしているとも言えます。
 いずれにしても戦後日本は「愛国心」ですら教育基本法に盛り込むことに躊躇する国家ですから、価値相対主義の洗礼にもっとも侵された精神状況に若者は存在していると私は思っています。

 界の多くはキリスト教やイスラム教、仏教、そしてユダヤ教やヒンズー教などの民族宗教が堅固に生きていて、そのことを背景に今なお戦争すら行われている状況であるにもかかわらず、日本だけは民族宗教としての「神道」もかつての国家神道の悪しき印象を拭うことが出来ずに、相対化されてしまっている唯一の国だと言えます。
 そのことは、戦争や戦後の復興期を生きた世代にとっては様々な思い入れの中で、肯定する人も、批判をする人もいて当然なのですが、その次の世代にとってはそうした態度は優柔不断な魅力のない相対主義者にしか映らないのです。 
 自由は不自由なことを経験した人にとって幻惑するほど魅力ある価値でありえても、自由な中で育って来た次世代にとっては与えられたあたりまえの環境であり、そこに緊張感は伴いません。
 そして神なき自由の行き着くところは「ニヒリズム」でしかありえず、若者の多くが生きることに嘔吐し、「軽い」精神病を総じて患っていることを認識すべきなのです。

 や、3万人以上が自殺し、2人に1組が離婚する世の中で、企業や官僚神話が崩壊するとともに、政治家の人間力の低下は著しいものがあります。賞賛されるのは芸能人とスポーツマンの世界ばかりで、若者の多くはビデオやインターネットなどのバーチャルな世界に多くの時間を費やして日常性から逃避しようとしています。
 そんな文明的かつ日本的現象の中で少なくともオウム真理教はそこに答えを与えようとして若者の心を捉えて来た訳ですから、それは異常な現象ではなく、至極身近に起こりうる普通の現象でしかない訳で、周囲にいる身近な若者がふと名称を変えたオウム真理教に入信しないとも限らないのです。
 突然、親や友人を殺したり、日常性から失踪したりと、切れる若者が多発していますが、それとても異常かつ特殊な行動ではなく、実に身近に起こりうる想定内の現象にすぎないのです。
 多くの若者が生きることに嘔吐してしまったり、心地よい世界にだけ閉じこもって生きようとする精神の惰弱さをいったい誰がもたらしたのか。その責任はどこにあるのか。そのことの責めを感じることもなくマスコミが正義面して報道していることそのものが偽善でしかなく、そんな社会を形成して来た罪を背負っていることの無自覚を私は軽蔑するのであります。

 かし、それらは「瘠せたソクラテスより肥えた豚」を求めて戦後日本はひたすら歩んで来たことのつけがきわめて当然のように青少年の心に現出しているだけに過ぎないのであって、その戦後的現象の象徴としてオウム真理教の存在があると言っても過言ではありません。
 ということは、第二、第三のオウム真理教の出現もまた避け得ないと言わなくてはならず、マインドコントロールされれば世の中を捨てて殺人すら平気になる若者はいくらでもいるということなのです。
 ですから、そうした病理現象を生み出す現実にこそメスを入れて、日本の社会のあり方を真剣に考えなくては、価値相対主義からニヒリズムの沼に落ち込んでいく、若者たちのいかんともしがたい虚無感を克服することはできないと思います。
 あるいは、私の感じ方は思い過ぎにすぎないのかもしれません。そうであることを心から願ってはいるのですが、こんな夢も希望も持ちにくいいいがけんな日本の現在では若者たちに正しい心を持てなどと言えない無力感を拭いきれないでいるのです。



★天皇(制)についての考察

呉竹太郎  (平成18年9月11日)


 篠宮家に男子が誕生したことによって多くの心ある日本人が胸をなでおろし、深い喜びにひたったものだと思います。
 マスコミの一部ではそれでも「皇室典範の見直し」が必要だとの報道をしているところが目立ちましたが、ほんとうに天皇(制)の将来を真摯に考えてのことなのかと、正直なところ疑義を覚えざるを得ませんでした。
 女系天皇の容認はいずれ天皇(制)そのもの崩壊に繋がることは言うまでもなく、私は何処までも男系男子の皇統が護持されることを願ってやまないところです。
 その意味で、今回の慶事は天佑神助の出来ごとであり、みなさんとともにかかる奇跡を噛み締めたいと思います。

 れでは、何故そこまで私は天皇(制)の存続にこだわるのか? 日本にとっての本質的な問題についてここでは若干の考察を加えて見たいと思います。

 皇とは何か? そう真正面から問われた時に、咄嗟に明快な回答を用意出来る人が現在の日本ではどれくらい存在しているのでしょうか。
 皇室の存続を願う人は常に国民のアンケートでも8割以上におよびますが、しかし、なんとなくあったほうがいいと思う人が大半で、「尊皇」の確信にまで至る人が、どれほどお見えなのだろうかと思うと心もとなくなります。
 それは、週刊誌天皇(制)と称される大衆化の流れの下で、イギリスの王室などと同じ次元で皇室のことも高貴なアイドルのように捉えられている場合も多く、そのことが女系天皇でも良いとする意識の背景になっているからです。
  
 かし、天皇の存在は日本人にとってイギリスの国王とは全く異なった存在であり、ある意味では宗教的、文化的存在としての価値を有しており、日本人のアィデンティティそのものと申し上げてさしつかえないと思うのです。
 ですから、かつて三島由紀夫氏が「反近代の象徴としての天皇」として位置づけ、99%近代化を徹底しても1%天皇が存在することによって、日本の価値の源泉は担保されうると述べておられましたが、今になって強く実感する思いでもあります。

 さに、天皇は日本民族の伝統、文化、歴史の座標軸となる存在であり、 日本の神々と人々との「中今」の存在として、原初の時代から連綿と受け継がれて来た 祭司的存在でもあるのです。
 簡単に言えば、全国の神主さんの一番高貴なご存在であり、少なくとも古事記、日本書紀が 編纂された時代から一定の型を一貫として継続して来た存在なのです。

 は、今日においてもなお今上陛下は宮中三殿(中央に天照大御神をお祭りされている賢所、左に歴代天皇や皇族の御霊、右に八百万の神々をお祀りされている神殿)に御拝礼され、世の平らぎと国民の幸せ、五穀豊穣をお祈りになられていることが、その存在の核心部分なのであり、戦後は私的行事と位置づけられていますが、一日として祭祀を欠かすことのないご敬神の姿にこそ、天皇の本質があるのです。
 大和朝廷の時代から大化の改新を経て、武家政権の時代、そして立憲君主から象徴のご存在へと1500年以上の歴史的な変遷を遂げながらも、天皇はその歴史の試練に耐え抜いて連綿として在ることによって「権威」としての正当性を確立して来ました。
そして、それは縄文、弥生時代を通じて培われてきた民族宗教である神道によって裏打ちされており、大王の時代から天皇は「最高の神官」としてあったのです。

 かし、近代主義や科学主義によってわれわれの思考は相対化もしくは唯物論化され、国家や天皇(制)を「共同幻想」として捉え、普遍信仰と平等の原理にも反すると解釈する人が 意外に多いことに気づくと同時に、戦後は古事記、日本書紀をただ支配者の正当化の歴史と位置づけしたり、日本の歴史を否定する意見が氾濫した時代を潜り抜けて来ました。

 には近代主義の高みから一人日本的風土を非難し、欧米礼賛に陥っている知識人たちの 多くに偽善性や観念主義の狭隘さを感じない訳にはいかなかったのですが、どうして神話の浪漫をそのままに評価し、自然との調和をDNAに染み渡らせた日本人のあり方を首肯することが出来ないのかわからない。
 最近になって右旋回と指摘されながら保守主義者が増えているように思えますが、その多くが天皇抜きのナショナリストであり、それは欧米への過大な帰依によって生じた知識文化人たちの思い込みから来る同じ土壌に乗っかったものにすぎないところがあります。
 祭祀としての天皇の価値について認識することが、日本のアィデンティティの確認であり、そのことを忘れては日本及び日本人の意味を喪失することに繋がると思うのです。

  親王のご生誕という慶事に、天皇について考えて見ました。





★夏の終わりに

呉竹太郎  (平成18年8月28日)


 球温暖化の影響によって、日本が亜熱帯地方のような気象に変わりつつあると、最近耳にする機会が多くなっていますが、各地での豪雨やマラリアの発生など驚くべき現象が散見されています。
 はどうもそれは気候だけではなくて、「若者の生態」そのものも実は「亜熱帯化」しつつあるのではないかと実感しているのです。
 いうのは、数年前まで私は東南アジアのイスラム教の国で一年余り仕事をして暮らしていました。日常は穏やかな日々で、赤道直下のせいもあって全体に動きのゆったりとした町でした。会社は鉱物資源を扱っていたのですが、現地で雇用していた多くの人たちが大学を卒業しているメンバーでさえも、人はみんなよい人なのですが、時間や約束を守る観念に乏しく、金銭感覚は全くルーズでした。

 通無碍というかいいかげんというか、報告、連絡、相談というホウレンソウを教えてもなかなか実行などしてくれません。それでいて叱っても次からはきちっとすると言ってはごまかすか、笑顔でアラーの神の思し召しとなってしまうのです。
 し解雇すると今度はあることないこと悪口の言いたい放題で、信義もくそもあったものでもないという状態で、かといって屈託なく罪の意識など微塵のかけらもないみたいな心理構造をしているようなのです。
 熱帯地方で生き抜く知恵なのでしょうか、失業率が半分以上の地域なのですが、お互いに助け合うことによってそれなりに明るく生きていくことが出来るようです。
 はむしろその強さとイスラム教のたくましさに感動し、見習わなくてはならない部分があるとさえ思ったほどでした。
 
 うして仕事を終えて日本に帰国し、原宿に事務所を設立して活動をしはじめたところ、竹下通りをのろのろと歩いている若者の姿を見た瞬間に、日本の若者は亜熱帯化していると直感したのでした。
 れから何組かの若者と話す機会ができるようになると、その時間や約束のいいかげんさ、やる気のなさは、全く東南アジアで経験して来た姿と焼き写しでした。
 ート、フリーターなど人生の関係をいつもいいかげんにしておいて、必要に応じて働きその場を刹那的に生きるなど、かつての日本人には恥ずかしいことでした。
 ンビニの前でだらしなく座り、ごみを散らかしながら、夜中でもわいわい騒ぐ。日本の若者における「亜熱帯化現象」はかなり進んでいると思わざるを得ないのです。
 ろん、現地の若者の全てがそうだと言っているわけではないのですが、おしなべてそういう人が多い地域であったということです。
 かし、つきあって見るとそれなりにいいとこもあって、相手のルールさえ飲み込めばいい付き合いもできるのです。

 供たちの人懐っこさや好奇心に満ちた目の輝きは印象的で、昭和30年代を舞台にした映画『オールウェイズ 三丁目の夕日』を彷彿される世界でしたが、あの元気さや明るさがそのまま大人になってもそうであるために何かをしなくてはならないと痛感したのでした。
 れは教育の普及以外に王道はないのですが、まだいくらか時間の経過を経なくては社会全体を良くしようとするエネルギーにまで至らないと思います。
 が終わろうとしています。蝉の鳴き声が心なしか寂しく、幾分名残惜しそうに夕暮れを闇が深く包んで行こうとします。亜熱帯化した日本の若者に四季の移ろいはどのように映じているのでしょうか。 




★靖国神社・考

呉竹太郎(平成18年8月20日)


 25万人が訪れた終戦記念日の一日が嘘のように境内は静まり返っています。戦争が終わって61年目ということは20歳で特攻隊として敵戦艦に体当たりした英霊が生きておられたら81歳ということになります。
 し靖国論争を聞かれて天皇も総理も、すなわち日本国家と国民を代表して感謝の誠を捧げることがないとするならばいかに失意の念を抱かれることか推察するにあまりあります。確かに一部の英霊はクリスチャンであったり、台湾、韓国の人たちであったりして靖国に祀られていることを不本意とする人たちがいるのかもしれませんが、大多数の日本人は靖国で眠ることにいささかでも疑問を感じているなどとは思えませんし、大半の遺族にとっても威儀を正して英霊に迎える場としての靖国神社は貴重な存在であることは言うまでありません。まして、日本が古くから長年し親しんできた儀式は神道のそれなのですから、英霊への生きた人間の作法として、その儀式を守り続けるのが礼儀ですので、靖国論争ほど不毛の論議はないと私は思っています。

 メリカではハワイに、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争等で戦闘中に亡くなられた兵士の遺骨収集も発掘作業をする「中央身元確認研究所」という177名のスタッフでなる組織があり、14組の身元探索チームを組んで年間200日以上の活動を展開しているそうで、なんとそのために42億ほどの予算を組んでいると聞いています。それに対して日本の遺骨収集の予算は3億6000万ほどで、圧倒的な取り組みの姿勢の違いを感じさせるのです。ましてアーリントン墓地をはじめ海外での24の墓地と27の慰霊施設を管理する戦争記念碑委員会という行政部門があって、363人も職員がいるそうで、アメリカ軍人のための慰霊事業や記念碑事業を展開しているとのことで、そこにも姿勢の違いを痛感するところです。アメリカは国家の意思として戦没者に対する礼儀を示そうとしていることが伝わってきますが、日本は残念ながら戦没者に冷たい国だと思わざるを得ず、複雑な気持ちになってしまいます。

 して、靖国の論争を聞いて不快になるのは、その人たちがほんとうに心から英霊に対して感謝の気持ちを感じていない人たちに限って、分祀がどうのこうのと語っているからであり、また、昭和天皇のメモに関しては、普段は皇室に対して尊崇の念のない人たちがことさら取り上げていることに憤懣やるかたない思いを抱くのです。
 京裁判の欺瞞性はその後の戦争で「平和に対する罪」などで裁かれたケースがないことも含めて、戦勝者による政治的裁判であったわけであり、その後に主催者のマッカーサーはじめ多くの識者が疑問を呈しているのを見ても一目瞭然、その裁判に呪縛される必要性は全くないと言わなくてなりません。にもかかわらずほとんどのマスコミが「東京裁判を受諾して戦後があるのだから」と自ら関係付けて縛られようとする姿勢の自虐性を首肯することなどできません。
 ずは、靖国の英霊に率直に魂安かれと願う祈念の姿勢をひとりひとりが示すことこそ大切な姿勢であり、アメリカのように戦争で亡くなられた先人への手厚い配慮を今からでも行って欲しいと思うところです。




★平成30年へ向けて

呉竹太郎(平成18年8月8日)


 国がアヘン戦争にあえいでいた頃、日本はまだ江戸末期とはいえのんびりとした完結した社会に生活を楽しんでいました。むろん一部の識者たちは何処でその情報を得たのか「海防論」を唱えて警鐘を鳴らしていましたが、まだまだほんのわずかな先覚者人にしか過ぎませんでした。
 ころが、その15年後に「黒船」が来航し日本中が震撼することで、にわかに志士たちが急増していくのです。吉田松陰がその黒船に乗り込もうとしたことや、坂本竜馬が目を細めて黒船を見たことなど、その頃を描いた小説は生き生きと維新の志士たちの群像を表現していますが、男にとってロマン溢れた変革期の時代でした。
 政の大獄などで志士たちはさらに鍛えられ、外国と藩とで戦争を経験した薩摩と長州だけが最期には官軍となって徳川の世を終焉させるのです。西郷隆盛や大久保利通、桂小五郎、高杉晋作など綺羅星のごとく秀逸な個性が出現し世の中を引っ張っていきます。
 1868年に明治の世となりますが、黒船来航からさらに15年後の出来事でした。つまりアヘン戦争から30年の年月が必要だったということです。

 とつの時代が終わり、新しい時代が始まるにはどうしてもそれくらいの時間が必要であると同時に、それくらいの時間で世の中が変わってしまうということでもあります。
 治維新から20年余りで富国強兵政策が功を奏し、日本は欧米列強と肩を並べるくらいの実力を持ち始めます。しかし第一次世界大戦後のバブル経済から昭和の時代にかけて迷走を繰り返し自壊への道を歩んでしまいます。
 後もそうですが、あの廃墟から20年余りで見事に復興し、ジャパンイズナンバー1と称される時代に有頂天になります。しかし、冷戦構造の崩壊後は失速を繰り返し、バブル崩壊後の失われた10年を経験するのです。

 史は繰り返すではありませんが、確かに良く似た動きをすることは否定できないような気がします。冷戦構造の崩壊から15年。北朝鮮からいきなりテポドンが飛んで来て日本中に衝撃が走りました。私は拉致問題も含めて現代の黒船の到来だとその頃指摘をしました。単純に明治維新期を参考にすれば、黒船来航から15年後に江戸幕府が閉じたのですから、あと12年で平成30年前後が維新の達成期となると考えられわけです。
 の間、自民党と民主党の二大政党政治への流れに至る紆余曲折や、財界、官界でのモラルの低下現象、銀行や証券会社、百貨店の大型倒産、そして、社会風俗の目まぐるしい変化の中で異常な犯罪が多発し、中国や韓国の対日攻撃にさらされました。
 さに戦後神話と称されるものが全て崩壊して行ったと言えます。
 れは大きな歴史の流れでみれば「過渡期の経験」であり、戦後の右肩上がりの時代に膨れ上がった戦後社会の再調整期に位置しているのです。ですからまだまだ日本社会は揺れ動き、もっと根元的な改革を強いられることでしょう。まるで、IADNがADSLになりいつの間にか光ファイバーになっているように世の中は加速度的に変化をして行きます。
 
 の意味では、今日の混乱を見て一喜一憂してもはじまらないのであり、何処までも変革の方向性を見据えた対応をしていかなくてはならないのです。
 かし、明治維新はヨーロッパをモデルとして政治経済の仕組みを考案し、戦後の改革ではアメリカをモデルとして民主主義社会を形成して来ました。
 ころが次の第三の改革にモデルがないのです。国民の目の前に次世代の日本の青写真らしきものが自民党にも民主党にも描けないでいる。尊皇攘夷なり、富国強兵、鬼畜米英、戦後復興、高度経済成長と良くも悪くもそれぞれの時代を象徴するスローガンがあったのですが、今は構造改革という実体が良く見えない言葉が独り歩きをしているけれど、もっと根本的な制度改革のビジョンが見えてこないのです。

 代の変革へのエネルギーはそうした未来への大義の力が不可欠なのです。
 念ながら安倍氏にも小沢氏にもそれを見出せないとすれば変革はまだほんものの時代を迎えていないことになります。今、10歳から20歳くらいの青少年の皆様が大きくなる頃に、われわれの世代では創造できない新しい構想力で時代を切り拓いていくことになるのだろうと密かに期待をしているところです。
 なくともホリエモンや村上ファンドに新しい時代を任せるわけにはいかないと思いますが、そうした哲学のある政治家が生まれ育ってくるようにその種をまいていかなくてはならないのです。
 成30年に日本はどんな世の中になっているのか? あるいはこの目で見ることができるのかもしれません…。




★呉竹太郎の「在日」日本人宣言 (平成18年8月1日)

 
 こ数年、私の偏頭痛は増すばかりです。それは日本の現状を考えれば考えるほど憂鬱になるからです。近頃、三島由紀夫の「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら…日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」という『蘭陵王』の一文を思い浮かべる機会が多くなりました。
 頃の「アメリカニズム化」の徹底は見事のものがあり、抗しがたい日本の「融解」現象に、「喪失感」のようなものを覚えるようになって結構長い時間が経過しています。

 は子供の頃から「在日」の友人が多い環境に育って来たのですが、彼らと政治や文化の論議を交えながら、日本人であり、かつ日本の地に存在しているにもかかわらず、祖国としっかりと繋がりえていないような所在のなさというか、居心地の悪さというものをいつの間にか覚えるようになって来ていました。
 「在日」の最も親しい友人は自らのアィデンティティーの確立に常に悩んでいました。韓国人として生きていくべきか、それとも日本に帰化すべきかと。しかし、「在日」であることは韓国からもある種の差別を受ける存在であるらしく、結局、日本の社会で生きていくのだからと日本への帰化を選択しました。今では地域で選挙に出るんだとむしろ社会参加への意欲を強く持っていて、私にはないエネルギーを感じ羨ましくもあるくらいです。

 れに比して、日本人であることがあたりまえの社会に私たちは生まれ育って来ましたが、ことさら日本の勉強をする機会もなく、都市化された環境のもとで日本的情緒や美意識に洗練されるわけでもなく、歳を積み重ねて見ると自ら自身が「無機的なからっぽな中間色の存在」としてあることに思い至るのです。
 本の伝統、文化、歴史と言ってもほとんどまとまった知識も持ちえていないで、一応は「近代主義の思想の衣装」を着て、自由だ民主主義だなんて御託を並べながら生活をしてしまっている自分の何処に日本人らしさがあるのだろうかと問いかけて見ても、明確な答えを得ることが出来ないでいます。

 人からすればそれは「贅沢」な悩みであり、そこまで拘る必要がないではないかと指摘を受けるのですが、日本人だから拘るわけで、その拘りが個性なのではないのかと私は答え、在日の作家で立原正秋が日本の美を追求した例をあげて、これは「文化」であって日本に住み日本語で物事を考え生活をしている人はみんな日本人なんだと主張するのです。
 りを捨ててしまっては人間的な深みだとか高み、美しさなどというものには到達しないのではないかと思うのですが、近頃は政治家をはじめ財界人や官僚、文化人ですら「怖さ」を感じさせる人もいなくなったような気がいたします。

 島由紀夫は日本の何に拘ったのでしょうか。「99%の近代化を許しても1%のところで譲っちゃ駄目なところ、それが天皇だ」と言われていましたが、市ヶ谷自衛隊で建軍の本義を訴え、あえて天皇陛下万歳と三唱して自刃した最期の氏の視界には、何が見えていたのでしょうか。その後、ますますニュートラルになっていく日本の今を透視していたかのように「ミシマ」の存在は日本精神史の終章に不朽の完結をもたらしてしまったのかもしれないとも思うのです。

 己分析の限りで言えば、靖国神社に参拝に行くのも、「歴史の連続性」を求める精神の飢餓感のようなものがあきらかに働いています。神道なるものの包摂力に癒しを感じつつ、自然や森羅万象に神威を感受する日本人の心性が、合理主義や価値相対主義の時代にいかに生き残って行くことが出来るのか。縄文、弥生から続く日本人のDNAがしなやかな竹のように日本人の背骨を形成しているとほんとうに言えるのか。
 んなことを自問自答していると、先輩から「君も在日日本人だな」と突然言われ、「あるべき祖国を見失った日本人としての私」と表現されてしまい、「そうとう重症だけど、ギリシアのパルテノン神殿みたいにならないで、伊勢神宮がご遷宮を繰り返している限りは大丈夫だよ」と現象に囚われないことを教えられたのでした。

 かに、70年代頃に比べると圧倒的に保守系文化人が多くなり、日本のナショナリズムの胎動が60年の眠りから覚めつつあるようにも思えますが、しかし、その知的力量の重量感はまるで違って、薄っぺらくしか感じられないのは齢を重ねたせいなのでしょうか。
 妄の現象と偽善の饒舌が跋扈する時代に、まさに「在日」日本人として開き直ってしまうことしか、精神の平衡感覚を保つ方法はないのかもしれない。日本とは何なのか、日本人とは如何にあるべきなのか、とことん拘りながら根元的な問いかけを行ってみたいと考えておりますので宜しくお願い致します。

呉竹会・賛助会
事務局 ■〒102-0093東京都千代田区平河町1-7-5 ビィラロイヤル904 
■Tel:03-3556-3880 ■Fax:03-3239-4488 ■Eメール:mail@kuretakekai.jp