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呉竹会


日本人の愚

竹安まゆみ

 

その一


 メリカは、二十世紀の二つの大戦で他国をバクバク食べちらして、急に肥え太り、世界一の巨体になった食いしん坊の国だ。なぜそんなにがっついているかというと、根っこがないから不安でたまらないのである。移住後たかだか二百年余の歴史よりも、それ以前の各民族の歴史の記憶の方が、はるかに重く、一人一人がそれを背負って生き残ろうとしているのだから、国の内部に軋轢が絶えないのは当然だ。アメリカは、いわば今もって移民の群れだから、常に『約束の地』を探し求め、新しい変化を求め、少しでも多くの糧を求めずにはいない。キリスト教は彼らの、行進曲だ。
 だが日本は、元から自国が約束の地である。ここ以外にはないという場所に、日本人は二千年、棲み続けているのだ。狭い国土は横には広がらないが、縦に広がった。正しくは、仰ぎ見、掘り下げた。つまり、独自の精神性を見つけて、それを民族の特性とした。精神性の上に築かれた歴史であることを誇りに思ってきた。恥を知り、義理を重んじ、慎み深く、情あつく、欲を抑え、品が良いこと、それらを善しとして、利己や打算や思い上がりは嫌った。日本の教育は、徳育である。華道茶道武道、武士道、商家ののれんの陰にすら、商人道があった。日本には教化の宗教以前に、素朴な(だが侵しがたい)先祖崇拝があり、汎神を肌で感ずる宗教観があった。日本人が頂くのは、覇権の国王でなく、神事の天皇である。
 今、それらを一つずつ、かなぐり捨てつつある。衣食住から家族のあり方、お金儲けの方法、女の子のお行儀の悪さまで、アメリカの真似はもういい加減に止めた方がいい。本来の本質に合わないことばかりしていると、頭も身体も病気になる。自分の根の上にしか、樹は生きられない。


その二


 の日本人は、人間という人間が頭を撫でてくれると信じて誰にでも擦り寄っていくマヌケな犬みたいだ。人類愛と相互理解を無条件で信じるというのは、無垢に見えて、じつは他人が与えてくれるものばかり想定する癖がついているのだ。平和憲法という首輪を嵌めてさえすれば、日本だけは中・韓・朝からもロシアからも欧米からも結果的には理解され、いついつまでも無条件で、戦火の及ばない平和の下に置かれ続ける、などと、なぜあつかましく信じていられるのか。いざという時は、きちんとした軍備を持たぬ国のために、どこか他国(たとえばアメリカとか)が人道主義に燃えて駆けつけてくれ、喜んで命を投げ出して戦ってくれるのか。幻想である。自国を守るために他国の兵を殺してもかまわない、と思っているような国のために、誰が助けをよこすものか。日米同盟があるじゃないか、ですって? あれはね、
 『同盟を結んだからには、同盟の名にふさわしい戦力になっておくれ。いつまでも、おじちゃんに甘えてちゃだめじゃないか。役に立たない子は捨てちゃうよ』
 と言われているのである。戦争アレルギーが高ずると、軍隊の所持イコール軍国主義と思い込んで、ヒステリックに反対を叫ぶが、逆である。無用の戦争を避けるため、万が一の有事の際にも被害を最小限に食い止めるためにも、今時、自前の軍備は不可欠だ。
 それでもまだ、
 『世界に誇れる憲法九条』
 なんて唱えつつ、虚空を浮遊する平和愛好家の皆様、本物の有事の際、あなた方、不自由さと心細さに青ざめながらも決死の防戦を繰り広げる自衛隊を見物しながら、多国籍料理でも食べる気か。


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